歯医者にはまだ慣れていない…けど、だいぶマシになった話
今日は6歳になる息子の歯医者の日。定期的にフッ素を塗布してもらっている。
数年前に虫歯になり、治療が本当に大変だったので(大の大人が4人がかりでおさえる)、以来少しでも虫歯を予防したいのだ…。
今日は、療育のあと、おばあちゃんの家に行き、まったりとしてから、歯医者へ行くことを事前に伝えるようにした。
「歯医者行かない」とべそをかきそうになるのだけど「治療はありません。フッ素だけ」と何回か言い聞かせると大泣きはしなくなった。
歯医者へ着くと、「頑張る」と言いながらも目が真っ赤になって今にも泣きそうになったのだけど、でも今回は泣かなかった!
3年で驚くほどの前進だと思った。
ここまで来るのに3年ぐらいかかっている。
まず息子のような特徴のある子どもを理解してくれる歯医者さん探しから始まり、
歯医者のあのイスに慣れさせるために歯磨きだけをしに毎週通い、1ヶ月後にようやく治療ができるようになった。
絵カードを見せながら治療の見通しをつけさせようとするけれど、見通しがついたところでやっぱり怖いことには変わりないから、最後は大人がおさえつけて治療する、子は大泣きみたいなところで、双方治療が終わるとぐったり…ということもよくあった。
「歯医者」という言葉を出すだけで、怖くてパニックになるので、何回かダマで自転車で連れて行ったりもしたけれど、結局現地へ着いてからのパニックがひどくなるので、嘘をついて連れ出すのはやめようということになった。
結局のところ、我が家の場合は以下のようなプロセスを踏むのがいいということが3年かけて分かった。
事前告知→少し暴れる→落ち着くのを待つ→怖くてもママがいるから大丈夫だと言い聞かせる→頑張って歯医者に行く→治療を頑張れたことを褒めまくる。
怖いけど、我慢すれば終わること、頑張れば褒められること、頑張った自分に少し自信が持てるようになったこと、そんな積み重ねが息子を徐々に強くしていったのかもしれない。
まだ完全に慣れている訳ではないのだけど、だいぶ歯医者通いが楽になってきた。
小さな一歩でも確実に。
苦手なものにも踏み込んでいく勇気も大切。
歯医者を通じてそんなことを感じた一日だった。
ついに!学童も決定!
4月から小学校へ入学するにあたり、もうひとつの不安要素が「放課後の居場所」問題だった。
小学校はお昼過ぎに終わってしまうし、特に新1年生は4時間授業で早く帰ってくる。
フルタイムで働く私にとっては、放課後問題はかなり重要だった。
放課後等デイサービスという、配慮が必要な子どものための居場所づくりを目的にした事業所も最近雨後の筍状態であちこちにできている。
いくつか見学に行ったのだけど、どこも正直ピンとこなかった。
スタッフがあまり楽しそうに働いていなかったのが気になった。
何らかの配慮が必要な子ども達をサポートするのだという志や思いを持っている人は一体どれだけいるんだろう。
正解がないだけに、意欲あるスタッフが働く場所に通わせたい。
ただでさえ学校で緊張して帰ってくるのだから、放課後ぐらいは自分のペースでゆっくりさせてあげたいな…と思うと、学童に行かせるのも若干不安要素はあるのだけど。
私が住む地域には、学童のなかにも要配慮枠というのがあり、指導員の人が1人ついてくれているという。
音の刺激が気になる場合は、救護室のような一時避難できる場所もあったし、廊下が落ち着くという場合は廊下で一緒に付き添ってくれるようだ。
子どもたちの声もするけれど、保育園の延長で通えるのではないかと思って、一旦入れてみることにしている。
慣らし保育は2日ほど取る予定だ。1日はお昼前に、もう1日はお昼を持たせて行かせる予定。
次なるチャレンジは4月1日からの学童になると思う。
美しい世界に触れて癒される経験も大切
平日は夕方までガーッと働き、保育園に迎えに行き、ご飯を食べさせ、お風呂に入らせ、余裕がある時は線引きの課題やパズルなどをやり…。
典型的な私の一日だが、それが続くと生活に潤いがなくなってくる。
療育もやらなきゃ、あれもやらなきゃと不安で頭が埋め尽くされると、それに和をかけて潤いがなくなってくる。
そんな時は、小説を読んで現実逃避するようにしている。
小説を読んでいる間は、その世界に没頭することができるから。
最近久しぶりに美しい恋愛小説を読んだ。
38歳の天才ギタリストと40歳の女性記者の恋愛の物語を軸に、喪失と再生、親と子、愛と死等さまざまなテーマが複雑に絡み合っていく世界観。
平野さんの小説を初めて読んだけれど、こんなに美しい世界を描く人だったとは知らなかった。
そして、恋愛小説なんて、ほんとうーに久しぶりに読んだ。
自分は随分と遠くまで来てしまったなと思ったけれど(笑)、これを読んで胸が張り裂けそうな気持ちとか、逆にじわーっと全身が幸福感で満たされていく感じとか久しぶりに思い出した。
帯の言葉にドキッとする。「あなたが結婚した相手は最愛の人ですか?」
まるで自分に問いかけられているみたい。
そういう風に思った既婚者は私だけじゃないはずだ。
人をこんな風に愛せたという経験があるだけで、たとえその愛が実らなくとも十分に豊かな人生ではないかと思う。
主人公たちのその後の人生が、頭のなかで映画のように再生されていく。
そんな美しいイマジネーションを呼び起こしてくる上質な物語だった。
何をゴールとするか。保育園修了式
息子が半年間だけお世話になった保育園の修了お祝い会に行ってきた。
息子にとっては長時間座り続け、皆と行動しなくてはいけないストレスフルなイベント。正直、見ているこちらも何回か居たたまれない気持ちになった。
けれども、今の息子の実力値としては本当に頑張ったと思う。
具体的には…
・演劇には途中だけ参加できた(風船をパンチし、お尻どうのと言っていた。汗)
・卒園式用の洋服はやはり着てくれず、結局普段の格好と変わらない結果に。他の子どもたちとの差が結構笑えた。
・イスには座らず、小上がりが特等席になってしまった。観客席側からは息子の姿は見えなかった。
・園長先生から卒園証書をもらうタイミングで将来の夢を言うのだが、前の子につられて(というか、おうむ返しかな?)「おいしゃさんになる」と言っていた。
・退場の時はママと一緒に礼をし退場できた。
・最後の記念写真にも参加できた。
こんな感じ。途中先生に連れられて別の部屋でクールダウンすることもあったけれど、大声を出したり、走り回ったりということはなかった。
居たたまれない気持ちになったのは、他の子と比較して、「あんな風に色々と参加してくれたらいいのになぁ」と思ってしまった私自身の問題である。
あらかじめ自分の期待値は調整していたのだけれど、いざ本番で見るとやっぱり沈んでいる自分がいる。
それは抑えようと思っても仕方ないこと。まだまだ他の子のようになって欲しいと願っている自分がいるんだと発見できた。
息子のことを一生懸命見てくれる男性の担任の先生(きっと私の一回り以上年下)が泣いていたのを見て、私もついもらい泣きしてしまった。
玄関先で先生が息子の顔をくちゃくちゃーってしてくれ「おめでとう」と目を細めていた顔を見て、あぁこの先生に出会えて本当に良かったなぁと心から思った。
他の子と一緒でなくていい、息子が今出せる力を頑張って出せたこと、何とか同じ空間、同じ時間を過ごせたということが何より大事だし、それが私たちの今のゴール。
肝心の息子さんは自宅へ帰って早めに寝落ちしてしまった。
やっぱりいろいろ疲れていたんだなと。
お疲れさん!
小学校へ体験入学
今日は4月から通う予定の小学校の支援学級体験入学の日だった。
これまで就学相談にたくさんのエネルギーと忍耐力を使ってきたが、就学先が決まってしまうと、拍子抜けするぐらいのレベル感で個別対応していただけている。
朝一番で校門のところで先生、教育委員会の方と待ち合わせ。息子は緊張しているのか、いつもよりよくおしゃべりし、多動も目立った。
教室へ移動し、担任の先生とご挨拶。「こんにちは」としっかり挨拶できていた。
驚くべきことに、息子は約40分の間ほぼイスに座り、先生と一緒に課題をこなすことができていた。
家ではものの10分とかで集中力は途切れてしまうのだけど、今日はまぁやっぱり緊張していたから普段の姿を見せる余裕がなかっただけかもしれない。
線引きや粘土、輪投げなどをこなし40分はあっという間に過ぎていった。
支援対象の子ども達は学年を越えて同じ教室に集まっている。
衝立を使って学年を分けているのだけど、息子が時々別のクラスに乱入するというハプニングが起こったけれど、大きなトラブルにはならなかった。
「先生たちは●●さん(息子の名前)が小学校に来るのを楽しみにしていますよ」という言葉を最後にいただいた。
これまでは何とか定型発達の子ども達と一緒の機会を用意していただけないだろうかと、お願いをしてばかりの立場だったため、こんな風に言ってもらえるのも、それもまた拍子抜けする感じ…。これから何か嫌なことや悪いことが起きる前触れなのでは…と穿って見てしまう私。苦笑。
でも、その時はまたその時で考えよう。
まずは息子が頑張って今日という一日を乗り越えられたことに感謝をしたい。
子どもの就学に悩む人へ、智恵と勇気をもらえる1冊
再び海津さんの本。これは、主に障害のある子どもの就学(小学校が中心)を考える時にぜひ一度は読んでもらいたい本だ。
私がこの本に出会ったタイミングは、教育委員会で支援学校の判定が出た時に、改めて自分の教育観がゆさぶられ、自分が下した決断に迷いが生じ、自信をなくした時だった。落ち込むというか、もうどうしたらいいか分からなかった時に、この本に出会った。
当時者の親かつジャーナリストという職業を活かして、多方面に取材をしていて、具体的なノウハウが充実しているだけでなく、何より自信をなくした親にそっと寄り添ってくれる凛とした優しさも感じる本だ。
全7章で構成され、以下に章立てをご紹介する。
1章:就学相談
2章:親自身の人生
3章:しつけ
4章:自立
5章:困ったときの発信先
6章:子育て支援と「わが家のニーズ」
7章:子どもにとっての「よい親」とは
何より刺さったのは以下の言葉(引用させていただきます)
-障害のある子どもの親の使命は、障害のある子どもの親になったからこそ見えた社会の偏見や差別を声にし、制度やシステムをつくりあげていくための種を蒔くことだと思います。
その種は、さまざまな人たちの胸の中にも飛んでいき、子どもを支える力強い味方として、花開いていってくれると私は信じます。
種を蒔かなければ、花も咲きません。
順番からいえば先に死んでいく親たちが、子どもに遺せる財産は、だれかの善意を待たずとも生きていける、偏見や差別のない制度やシステムが構築された社会であり、違いを認め合える人間観を持った大人の存在だと思います。子どもは、大人の心のありようでいかようにも育ちます。
私の今のささやかな目標というか使命は、自分が経験した悔しさや悲しさや怒りや嬉しさ、自分が学んだ色々なことを同じ悩みを抱える別の誰かのために役立てること。
人はそれぞれ自分なりの価値観や信念を持っているから、全てが役に立つとも限らないし、そんな自分の経験ごときで誰かを救えるなんて思ってもいない。
でも、自分が苦しかった時に、指針になったりヒントになったのは、顔も分からない、名前も知らない、でも思いは共通する当事者ブログだった。
だからこそ、自分の経験をしっかりとアウトプットすることで次につなげられたらと思っている。
※とはいえ、このブログは本当にいち当事者の親としての備忘録やつぶやきレベルの内容も入っているため、あらかじめご了承いただきたい。
障害者差別解消法勉強会
親の会が主催する勉強会に参加してきた。テーマは「障害者差別解消法」について。
2016年4月から施行されている法律で、ざっくりとまとめてしまうと、障害のある方が合理的配慮を求めることができるようになるということ。
行政機関は義務、企業などの民間は負担のない範囲での努力義務なので、強制力はそこまではないけれど、とてもありがたい法律だと思った。以下、自分の備忘録。
・ルーツは公民権運動にまでさかのぼるということ。「違い」によって苦しめられている人たちがいかにして平等を獲得していったのかの歴史の流れのなかにあるということ。
・「合理的配慮」のポイントは、健常の人が普通に当たり前にできることを、何らかの障害があることでできない場合に、配慮をすることで同じスタートラインに立てるようにすること。エンパワメントの発想。
・「(障害のある方に対して)私たちは差別はしません。差別はしないので特別扱いもしません」というのは、立派な差別である。(合理的配慮を提供しないという意味で)
・学校やその他機関との交渉事の際に「法律で規定されている」と切り札を出せるよう法律について知っておくのはいいけれど、人間は正論だけでは動かない。
・合理的配慮とはつまるところ、対峙する相手のことをひとりの人間として尊重し大切に考え、どうすればその人がその人らしくいられるかの手立てを考えることである。