自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

歩みは「亀」でも、確実に。歯医者その後

今回の歯医者は泣くことなくできました

中途半端に時制の概念があるのか、何なのか、歯医者の検診が近づくと「今日歯医者さん行く?」と毎日確認してくる。それだけ不安なんだろう。

今回も大泣きして暴れるのかなー。

そんなこちらの心配は杞憂に終わり、今回の息子さんはだいぶ頑張っていた。

診察台に寝転ぶまでは結構時間がかかったけれど、いざ寝転んだら静かに

大きく口を開けて先生に体を預けていた。

しまじろうの「おおきく”あ~”、あ、あ、あ~。シュカシュカシュカ~でぴっかぴか」の歌を歌いながら、自分で自分を励ましていた。笑。

いい意味でこちらの予想が裏切られることもある

ここ2週間ぐらいずっと毎日「歯医者行く?」と聞かれ、たまに思いだしパニックみたいになることもあったので、本番はさぞかし大パニックだろうなぁとこちらも相当ファイティングポーズ(内心)で臨んだのだけど、いい意味で裏切られた。

 

そんな時に、息子の成長を感じる。

「またできないのかな」なんて思ってごめんという気持ちになる。

 

他の子と比べ出したら、息子の成長スピードはそれはそれは驚くほどゆっくりで、気の遠くなるほど。「この人成長とかとは無縁の人生なのかな」なんていう思いがふっと頭をよぎることもある。

諦めたらそこで成長は終わり

以前子育てについて悩んでいた時にある人がかけてくれた言葉だ。

目の前の息子と向き合うのがつらくなる時、何をやってもうまくいかないなぁって

泣きたくなる時にいつも思い出すようにしている。

毎日見て、毎日接していると、同じことの繰り返しでちっとも前に進んでいないような気もするし、何も積み上がっていないように感じるのだけど、そんなことはないのだと思う。歩みは亀のようにゆっくりでも、確実に何かの変化は起きている(もしくは変化に向かい始めている)

歯医者通いは、付き添う側にとっては結構いろいろとパワーを使うイベントなのだけど、息子のなかで積み上った何かの一部が垣間見える瞬間でもある。

次回は4月。次はどんな変化が見えるだろうか(退行してまたゼロリセットというパターンも大いにあり得る)

 

 

思いだしパニック

見通しが立つからパニックになることもある

一般的に自閉症児は構造化して見通しを立てやすくしようと言われる。

我が家も一週間のスケジュールに「学校」「学童」「放課後デイサービス」の3つのイラストを描いて、「今日は●●の日だね」などと見通しをつけて安心させるということをやっていた時期があった。

実践当初はだいぶ助かっていたが、最近はイラスト化しなくても、音の指示だけでも伝わるようになってきたので、口頭で伝えるようにしている。

昔は見通しが立たないとパニックになっていたが、今は逆だ。

特に「歯医者」に行く日のことはずーっと気がかりなようで、毎日「今日は行く?行かない?」と必ず聞いてくる。それも、割としつこく。

歯医者がよっぽど嫌みたいで、思い出してパニックになる

息子が通っているのは、障害者用の口腔センター。虫歯にならないように、歯磨きと定期健診、歯医者に慣れさせるために通っている。

でも、一向に慣れない…。治療をする訳ではなくても、大泣きする。

嫌なことを避けてばかりいると、大きくなった時に全くダメになってしまうので、何とか小さなうちからと思っているけれど、パニックになるので、どうしたものかなぁと思う。いつもなだめすかして、言い聞かせて何とか連れていくという感じ。

自閉×知的の21歳の娘さんを育てる先輩お母さんは「うちもいまだに慣れないわよ。怖がるわ」と言っていたので、いくら通ったところで慣れるものでもないのかもしれない。今週はまた定期健診の日。その日は私は有休を取るつもりだ。

さて、今回はどうなることやら…。

 

1年生最後の学童保護者会

“放課後の居場所問題”は、働くママにとって超重要

いわゆる「小1の壁」問題=放課後を過ごす場所をどうするのか問題に近い。

 

ちょうど昨年、就学問題にけりがついてから、学童の「要配慮児童枠」で申請した。

第一希望の学童は既に定員が満員だったので、第二希望の学童へお世話になることに。

結果、第二希望で本当によかった!という話。

ベテランの人達が丁寧に見守ってくれる環境というのは実は希少

私も勉強不足だったけれど、今「全児童保育」の流れが主流になってきているようだ。

 

全児童保育とは、保険料を払い会員になれば、学校が終わっても、そのまま学校の施設で夕方まで時間を過ごせる仕組みのこと。運営団体は民間であることが多い。

学童は働いている親御さんのための施設で、全児童保育の場合は、就労に関係なく、全ての子ども達が利用できる。

 

一見すると、全児童保育のほうが、合理的でフェアのような気もする。

けれど、言ってみれば「放し飼い」に近い(あくまでも私が受けた印象)。

 

学童は、父母の会があることで、子ども達に夕方のおやつを出すことができる。宿題を見てもらえるよう、職員の配置をお願いしたり、子ども達にとって有意義な時間を過ごせるような環境作りや働きかけができる。

 

何より、一定の支援を必要とする要配慮の子どもは、全児童保育とはあまり相性がよくない。最近でこそ、放課後デイサービスがたくさん出きているけれど、プログラムもスタッフの質も本当にまちで、どんな観点どう選んだらいいのか本当に分かりにくい。

学校のお友達とも離されてしまうのも気がかりだ。

その点、学校の敷地のすぐそばにある学童ならば、クラスのお友達との関わりも多くなるので、ソーシャルスキルトレーニング観点でもいいなと思う。

学童の保護者会も結構負担も大きいけれど、実は大切なのかも

第二希望ではあったけれど、今の学童は父母の会も本当に熱心で、キャンプやバザーだ運動会だとイベントごとも多い。保護者会も結構定期的にある。

その分、親御さんとも仲良くなる機会が多い。息子のことも「こういう子」ということで、理解してくれている方も多いように思う。

第一希望の学童は、イベントごとは皆無だと聞いた。子ども達同士の経験をそこまで重視しないドライな父母も増えているようで、無駄なことはしないという印象。

もし第一希望に通っていたら、圧倒的に経験の数が少なかっただろうなと思う。

 

働く親にとっては、仕事以外のコミュニティへの関わりって、正直あまり手はかけたくない。けれど「関わりのなかで学ぶ」子ども達にとっては、全てのイベント、先生方の質が心身の発育に大きな影響を及ぼすはずだ。

「めんどくさい」で片付けてしまうのではなく、関わり・経験機会をなるべくさせてあげたいなと思う。

 

 

 

 

「パートナー力」に共感

花まる学習塾の高浜正伸さんの記事にめっちゃ共感

「飯を食える大人になる」がキーワードの学習塾を経営する高浜正伸さん。

News Picksで彼の半生が取材されており、むさぼるように読んだ。

彼には脳性まひのお子さんがいて、知的・身体障害と重複障害を持ってほぼ寝たきりだという。そのお子さんと暮らすなかで高浜さん自身が得られたことを「パートナー力」という言葉でまとめている。

NPの記事は有料なので会員しか見られないが、花まる学習塾のコラムで同様の内容が無料で読める。

特に私が共感した一説は、以下に引用させていただく。

パートナーとしてカチッと組み合わさったとたんに、二人で一つの大きな力となった。もっと言うと個人としては何もできないように見える息子が、ダメダメ人間の私を立て直し、無限大のエネルギーを注入してくれたのです。誰かと組み合わさって発揮するパートナー力。これが障がいの子の持つ大きな実力だと思っています。自分自身は何も化学変化しないけれども相手を活性化する触媒とも似ていますね。私は、恐らく妻というパートナーと出会うことで「遊び人から大分遠ざかった」し、息子が生まれたことで、心が整えられ大切なものを見失わずにすみ、ひたすらに頑張りぬけたのだと思います。

「息子さんのお陰でクラスのお友達が優しくなりました」

ちょうど1年前、わずか半年間しか通わなかったけれど、本当に暖かな保育園に恵まれ、その時の担任の先生がかけてくれた言葉。

息子自身では何もできず、むしろ誰かひとり張り付いてみていないといけない「要支援の子」。基本私は「いつも息子がすみません」と謝るのがデフォルトになっていて、息子が誰かのお役に立てていると思えることは正直少なかった。

 

でも、保育園のクラスのお友達は何やかんやとお世話を焼いてくれて、ある男の子は本当によく息子に接してくれた。先生もこの男の子がそこまで世話焼きタイプだとは思わなかったみたいで、「息子さんのお陰で、●●君がここまで優しいタイプだと初めて分かりました」と言ってくれたのだ。先生の言葉で当時の私がどれだけ救われたことか。

これがまさに「パートナー力」ということなのかもしれない。

私も息子が生まれてから、考えられないぐらい真剣に生きてる

息子のことを受け入れるのに葛藤はあったけれど、受容できてからはここ数年本当に真剣に生きている(「必死」なだけかもしれないけれど)。

私はフルタイムで働いているので、これまで何度も療育と仕事の両立で悩み、仕事を辞めることばかり考えていた。

でも、今は息子になるべく資産を残したいということの他に、息子が将来社会へ出る時のために、いくばくか社会がインクルーシブな方向に進むように、そのために自分のスキルを活かしたいという思いで仕事をしている。

大学時代は就活もろくにせずに、適当に受けた零細出版社に潜り込み、ブラック企業でのストレスをお酒を飲むことで憂さ晴らしして、やりたいことがないと管を蒔いていた当時の自分から見たら、こんな品行方正で真剣に生きている自分は想像もつかなかっただろう。笑。誰か(メインは息子)のために、こんなにも真剣に頑張れる自分という側面は、息子と出会わなければ、一生開拓されなかったと思う。

 

息子は将来誰かの支援を受けながらの自立を目指すことになる。

その時に、私ではない誰かの「パートナー力」も開拓できるといいな。

すやすや寝息を立てている息子の寝顔を見ながら、切に願わずにはいられない。

先輩との交流会(という名の飲み会)はパワーをチャージする場であるとしみじみ感じた夜

 

小学校に入って、区の支援級に通う先輩方が結成している親の会に入ったのだが、

この親の会の人達との新年会&総会に行ってきた。

 

少し上の中学生、高校生、成人した親御さんが集まるので、これからの息子の進路を考える上で参考になる話ばかりが聞ける場なので本当に助かっている。

勉強会も定期的に行っていて、広く社会へ出た時にどんな力をつけておくといいのか、

リアルなモデル達からいろいろと情報を得ることができる。

 

成人してビル清掃の仕事に就いたという息子さんを持つお母さんからは、

「小学生の後半になると多動も落ち着いて本当に楽になる」という話を聞いて少し気持ちが楽になった。

 

何故なら、多動&暴言&声出しが「今ココ」の我が息子だからだ。

そんな日が来るのかな(遠い目)という状態ではあるものの、どんな子どもでも成長するという先輩の言葉を信じて日々頑張ろうと思えた。

 

あとは、20歳になる大きな節目が「障害者年金」取得なのだけど、そのために今から必要なことという話がしみじみ参考になった。

 

「長年にわたって心身の発達を見てくれ、20歳時点での診断書を書いてくれる主治医を見つけておいたほうがよい」という話だ。

 

我が家は息子の主治医というのがいない。

知的遅れと自閉は病気ではないので、医者に見てもらったところで薬で治る話ではないし、療育で対処しておけばよしとして主治医を真剣に探してこなかった。

やっぱり20歳時点の申請の時に必要なんだ…と思って、改めてじっくり探そうと思った。月曜日に近所の児童精神科に初診で行ってくる予定だ。

 

そして何より、先輩方は明るく、優しく、賢く、温かい人達ばかりだ。

息子との出会いがなければ、こうした先輩方との出会いもなかった。

改めて、先輩方との出会いに感謝するとともに、私も今悩んで苦しんでいる人が

いたら、自らの経験談ではあるが何かの形で還元していけるようにならないといかんなと、しみじみ思った夜だった。

 

 

 

 

練習してもやっぱり歯医者は苦手なり

 

 

月イチの息子の歯科検診へ。

息子に朝「今日はママが小学校へお迎えに行くからね」と伝えると、

「学童ないの?デイサービスないの?」と矢継ぎ早に聞いてきたと思ったら、

「歯医者さん行くの?」と確認してきた(汗)。

こういうところは妙に感が鋭いというか察する力があるというかよく覚えている。

 

朝からパニックになられると困るなーと思ったので、適当にごまかして学校へ送り出した。

午後に学校へ迎えに行くと満面の笑みで嬉しそうだったものの、少しすると

「歯医者さん行かない?」と。

 

さすがにごまかしてダマで連れていくわけにはいかず、

「歯医者さん行くけど、お掃除するだけだよ。頑張ったらママと遊んで帰ろう」

と励まして連れていった。

 

息子は聴覚過敏でもあるので、歯医者の機器の音(特に治療する際のあの音)がとにかく苦手だ。歯医者さんへ着くともう顔がこわばっていて、ひたすら「治療じゃないよ。お掃除するだけだから」と励ました。

 

我が家が通っているのは、障害者向けの口腔センターなので、子どもから成人まで障害のある方がご家族と来ている。

器具・設備がすごい整ってるなーと思う。

以前、「暴れる患者はネットにくるんで大人が羽交い絞めにして治療する」と聞いたことがあって。昔はネットだったのかもしれないけれど、今は暴れても、少し重さのある「おくるみ」的なものを着て動けないようにするみたいだ。

 

もっと驚いたのは、歯のレントゲン撮影器具。

市販のインスタントカメラのように小型で手に持って、局部を撮影できるようになっている(撮影する人と先生、息子は防護用のマントを装着)。

 

息子は以前病院でレントゲンを撮影する際にパニックになり(診察助手の人が無理矢理撮影しようとしたことをきっかけに)、レントゲンには大抵抗するのだけど、この器具ではスムーズに撮影できた。

 

撮影の結果、息子は先天的に歯の本数が1本少ない人だということが判明。

これから定期的に口腔センターへ通いながら、慣れてきたら矯正もできるようになるでしょうとのこと。

 

次回は来月。

仕事も早めに切り上げて連れていかなくちゃいけないので、結構大変。

息子も昔に比べたらだいぶ乱れなくなってきたけれど、まだ怖いといってジタバタすることもある(そしてその時の力が結構強い)。

でも、最後は何とか勇気を振り絞って(という言葉がぴったりな感じで、診察台に寝転ぶw)頑張る息子の姿を見ると、律儀な性格だなーと、我が子ながら思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

あんみつ屋でリベンジ&おみくじ(母)

バスで上野へ。

上野には「みはし」というおいしいあんみつ屋さんがあるのだけど、

我が家にとっては少しほろ苦い思い出がある。

 

息子が5歳ぐらいだった頃だと思う。

ふらりと入ったみはしで、何かのきっかけでパニックになり、奇声を発し、

イスもガタガタと蹴って鳴らし、他のお客さんに睨まれ(「ちっ」と舌打もされたっけな)、慌てて店を出た。

 

店の外でも息子のパニッは治らず、通行人からの突き刺さるような視線を受けながら必死で息子をなだめ、ぐったり疲れて帰宅したのだった。

 

それ以来、みはしには近づいていなかったのだけど、今日は人が少ない時間帯だったこともあって、2年ぶりに入ってみることに。

今日は大きな声を出すこともなく、静かに食べることができた。

ずいぶんと成長したもんだなと、感慨深い気持ちになった。

 

一般的には静かにするのなんて当たり前な年齢(7歳)だけど、我が家の息子の認知レベルは4歳程度。頑張ってるよなぁとしみじみと。

 

「あの時はできなかった」というだけで、時が経てばできるようになることもあるのだな。だったら、一度できなかったとしても諦めないこと。できると信じて準備をしながらタイミングを待つことも、時に大事なのかもしれない。

たかだかあんみつ屋で静かに過ごせただけで大げさな話だけれども(笑)、みはしリベンジから息子が教えてくれたことだ。

 

帰宅途中に近所の神社でおみくじを買った

「大吉」だった! 

 神の教えにはこう書いてあった。

「七転び八起き。倒れても起き上がり、ころんでも立ち上がり、力をおとさず、希望をすてず…」

 

一筋縄ではいかない子育ても今年で8年目に入る。日々転んでばかりのような毎日でも積上っているものがあると信じて、できる限り前向きに進んでいきたいものだ。