自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

就学相談

就学相談とは、障害があったりその他就学を前に心配がある家庭へ向けて教育委員会との話し合いの場を持ち、子どもにとって最適な就学環境を考えていくための機会だ。

 

「親の意向を知る」「子どもの現状を把握する」「判定会」「教育委員会からのフィードバック」「就学先の決定」といくつかのフェーズに分けられる。

我が家の場合を例にとり、どんなふうに進んでいくのか、どんな準備や心構えで臨むといいかを振り返ってみたいと思う。

 

〈親の意向を知る〉

・6月ごろ教育委員会に電話して面談の予約。親子で来てくださいと言われる。

・元は小学校だった場所で1回目の面談。相手は臨床心理士の女性と教育委員会の男性。チビは心理士の女性と共に別室で(恐らくこれもアセスメント)、私は男性とこれまでの成育歴や育児における心配ごと、就学に関する希望などを伝える(我が家は地域の特別支援学級を希望した)。

 

〈子どもの現状を把握する〉

教育委員会の判定員と呼ばれる人が保育園へ出向いて普段の息子の様子を2,3時間見学(判定員は複数人数いるらしい)

・子どもを複数人数集めて集団行動観察という過程を取る地域もあるようだ。

・我が家は途中で引越をしたので、新天地では田中ビネー発達検査を受けた。

・医師による診断も受け、自閉症と言われた。

 

〈判定会〉

・判定委員による判定会が月に1回(地域によると思うが、我が家が暮らす地域は月1開催)開催され、これまでの資料を元に子どもに合った環境を総合的に判断していく。親は介入できない。

・我が家の回は2016年12月20日に実施していただいた。

 

教育委員会からのフィードバック〉

・2016年のクリスマス前後に教育委員会から電話があり、支援学校を推奨との判定。我が家の意向とずれていたので、再び話し合いの場を持つことに。

教育委員会の方達と夫、私の4人で面談。何故支援学級を望むのか改めてお伝えすると、支援学校も見てみてから決めませんかと提案をいただく。

・年明けに支援学校を見学。予想通りの手厚い配慮が受けられる明るい学校という印象でも、我が家の意向が揺らぐことはなかった。

・支援学校見学後の数日後に改めて支援学級にお世話になりたい旨をお伝えした。

 

〈就学先の決定〉

・地域の小学校の校長先生、教育委員会、夫と私で面談。改めて支援学級へ行かせたい旨をお伝えし、学校側の意見を伺う。

・学校側は家庭と密に連絡を取りながら、個別に支援をしていきましょうということで合意。最終的に地域の小学校の支援学級に就学先が決定した。

 

〈就学相談における心構え・私の場合〉

就学相談は、結構な時間と工数、エネルギーを必要とする。

判定と家庭との意向がマッチすれば問題ないけれど、ズレがある場合には更なるエネルギーと時間を費やすことになる。

これは個人的な感想でしかないけれど、やはり就学相談での結果は、1つの判断材料にしかすぎないと思う。

 

判定員の人の見立ては確かに、正確に彼の一面を切り取ってくれていると思う。

とはいえ、彼にだって調子がいい時と悪い時があるはずで、判定員の人にそのバイオリズムを見極められるかというとそうは思わない。しかも、会って数時間の人に彼の人生における重要な局面を決められたくはない。

 

そもそも学校だけで完結させようなんて思っていないし、人間の核を創るのは家庭だと思っている。だからこそ、どんな環境で学ばせたいかは親が決めていいと思う。その上で学校側とどんな連携をさせてもらえるのか、そこを就学相談の場で相談するというのが理想ではないだろうか。

 

現状は、発達検査の結果で色分けされ、学校区別をされているのではないかと思っても仕方がない部分がたくさん散見された(教育委員会の人のさりげない言葉など)。

 

我が家は就学相談の過程で、本当に色々な人の意見を聞いたし、学校も見に行った。直観的にないなと思うところは分かりやすく削除できるのだけど、甲乙つけがたいところもあって、そこは本当に悩ましいところだった。

 

正しい答えなど誰も呈示してくれないし、自分達がどう考えるのかをその都度深く深く突き詰めて考えなければいけなかった。

でも、その時点で考え抜いた先に出した選択ならば、納得感がある。納得感があれば頑張れるし、その先に何か想定しないことが起こっても、軌道修正を早いタイミングでできるのではないか。

そういう意味でも、小学校のタイミングでは特に、親である自分達自身が納得できる選択かどうかというのがとても大切になってくるような気がする。

そのためには、現場に訪れ、通っている先輩の話を聞き、イメージを膨らませていくこと、何だかんだ決め手はそこだったように思う。

 

 

小学校が決まった

息子が通う小学校が決まった。

公立の特別支援学級へ進むことになったのだ。

地域の学校へ通うという、ごく当たり前なことが、当たり前に進まないのが障害児だ。

ここまで来るのに何か月かかったことか。何度心が折れそうになったことか。

何回泣いたことか(事情を知らない息子が慰めてくれたのは嬉しかった)。

障害がある子の場合、就学相談というのを受けることになる。

(就学相談については、別の記事で全体の流れと目的、心構えをまとめる予定だ)。

 

我が家の場合は、教育委員会の見立てと我が家の意向がズレていたために、多くの話し合いの場を持つことになり、数ヵ月もかかってしまったというわけだ。

 

定型発達の人達にとっては当たり前すぎて何のありがたみもないであろう、地域の学校へ通うということを実現するために、障害があるというだけで多くの労力とエネルギーを割かないといけない。正直、何度も不条理さを感じたものだ。でも、これが日本の現実なのだと思う。

 

「お宅の息子さんはここができない」と、苦手な部分ばかりを見せつけ、どうすれば参加できるのかという視点に立った見立てを行わない教育委員会

「昔、お宅と同様の家庭が支援学校判定が出ていたのに支援学級に進ませたことで入学早々に不適応を起こした」と、判定に異議を唱える親に対して脅し系のフィードバックを行う教育委員会

私は教育委員会は味方であると思っているし、喧嘩をしたい訳ではない。

事実そうした例はたくさんあるんだと思う。そうした事実を受け止めつつ、でもそうであったとしても、親としてどんな環境で子どもを育てたいのか、という意思決定をしていくのだと思う。

いざ入ってみて、息子がどんな反応を見せるのか、事態がどう転ぶかは本当に分からない。もしかしたら、本当に不適応を起こしてしまうかもしれない。

でも、そうなった時のプランAやプランBはしっかり考えながらも、そうならないように最善の努力をしていきたい。

小学校へ決まったという嬉しい日のはずなのに、ホッとした反面また不安な気持ちでいっぱいになるというのもどうかと思うけれど。

 

でも、まずは先輩ママさんが声かけてくれた言葉を胸に、安堵しようか。

他のご家族と同じように、これからの入学準備をわくわくしながら楽しんでください。この瞬間は一生に一度きりですから」

 

 

最近の悩みごとその①

息子(3歳)は、まだ言葉が話せません。片言で、パパ、ママ、じじ、

ねね、でんしゃなどが発信のメイン。二語文はまだまだという感じ。

療育へ通い始めて2ヵ月が経ち、ママ友達ともだいぶ打ち解けています。

あるママさんは、私の息子と同じ言葉の課題を抱える息子さんがいました。

小学生になるのに片言だそうで、別の区にある言語療法のクリニックに

通っているのだそう。

彼女の話を聞いていて、そう遠くはない息子の未来と重なってしまい、

みるみる気持ちが不安定になっていくのが分かりました。

息子とその子は抱えている課題も違うし、性格も何も全く違うケースの

はずだけれど、息子も小学生になっても片言しか話せないかもしれない…。

そう思ったら、今の療育も本当に中長期で結果が出るのか…。

私が在宅までして取り組んでいることは意味がないのではないか…。

そんな風に不安のループにはまってしまいました。

普段は前向きだけれど、こんな風に何かほんのちょっとの出来事で

あっという間に足下がぐらついてしまう。

自分の胆力のなさが情けなく感じます。

まだまだ未熟だということ(認めたくないけど)。

そんな私とは裏腹に、息子は着実に成長しています。

最近、息子の中にもいろんな気持ちが出てきてるようで、

ただ言葉では表現ができないから、「きーっ」と奇声を発するように

なってしまいました。先生に相談すると、これは成長の一段階だそうで、

決して問題行動ではないそう。そういう時はなるべく息子の気持ちを

受け止めるよう「○○だったんだー」とか、そういったリアクションを

してあげてくださいとアドバイスを頂きました。

言うは易しとは思うけれど、なるべく先生のアドバイスを取り入れて

私も胆力を鍛えないとな、と思うこのごろです。

 

療育ママ友達の涙

通っている療育では、その月の誕生日をお弁当の時間にお祝いする。

4月生まれの男の子がいたので、皆で歌を歌いながらケーキでお祝いをした。

男の子のママが

「ここへ通い始めた1年前は、息子はできないことばかりだった。ここまで成長してくれて本当に嬉しい」と、涙しながらコメント。

いつもクールな印象のママだったから、彼女の涙に、こちらも思わずもらい泣き。

みんな言葉に出さなくとも、色々な気持ちを抱えながら療育へ通ってきているのだ。

必ずしも前向きな気持ちだけじゃない、ネガティブとポジティブを行ったり来たり

しながら一歩ずつ前へ進んでいくしかないんだ。

息子は6月生まれ。私はどんなメッセージをしよう。

療育スタート

火曜日の療育がスタートしました。

母子共にお弁当持参で、朝は10時までに登園します。

自分の名前が貼られたロッカーに荷物を置き、出席表にシールを貼ります。

朝の会が始まるまでの30分間は自由遊びの時間で、息子はプラレールを見つけると、

大好きなしまじろうをさっさとホッポり出して、電車に夢中になっていました。

朝の会では、児童が椅子を並べてそこへ座り、名前が呼ばれるまでじっと我慢して

待つ練習。息子は一人ではじっと座れないため、私が抱っこしていました。

息子は自分の自由にできないからえびぞって抵抗しますが、じっと我慢。

これが結構体力使います。

名前呼びが終わると母子の活動がスタート。

具体的には、遠足バス、赤い鳥、ちゅうちゅうねずみ、一本橋等の歌に合わせて

一定のリズムで母子が分離して母のところへ戻ってくる練習などをします。

療育を始めた最初の頃は、私と少しでも離れると泣きわめいて大変だったのに

今はニコニコ笑いながら私のところへ駆け戻ってくる。成長を感じました。

お昼は母子で食べます。少し上のお兄ちゃんたちは母子分離で食べていました。

完食するとみんなで褒めます。褒めると達成感に満ちた表情をしていたのが印象的。

ただ、昼食に関しては息子は課題を感じました。

椅子に座っていることができないから。途中で立ったり、床に座ったり、

私の膝に座ってこようとしたり…。

食事の間は椅子にずっと座っていられるようにするにはどうしたらいいのか。

今後先生に聞きながら考えようと思いました。

「療育」といっても、別に訓練じみたことをするのではなく、身辺自立(自分の

ことは自分でできるようになること)と体を動かす中で母子の愛着形成を促す

ことを目的としているようです。

療育自体の成果を期待するよりも、そこで出会った自分と同じような悩みを抱える

お母さん達との交流に期待しています。

家庭での接し方を見直したり、コミュニケーションで工夫できる情報を交換し合ったり。私自身が変わっていくきっかけになるといいなと改めて実感しました。

 

 

療育説明会に参加

4月から週に1回通う区が実施している療育施設へ、通所説明会に行ってきた。

3月にも支援計画を立てるための面談というのを1時間してきたのだけど

今日はその時のインタビューを元に支援計画書というのが出来上がっていた。

息子の支援計画は、長期目標が「要求、拒否を自分から伝えられること」。

そのための短期目標が「サインを使って自分の要求を伝える」こと。

具体的には「ちょうだい」のサインを、自分が欲しいタイミングで自分から

出せるようになること。3ヶ月間が目標で、6月にモニタリングを行うそうだ。

 

療育では、スモールステップ(小さな成功体験を積み重ねていくこと)が

大切というけれど、この支援計画を見た印象は

「ここまでスモールなのか」ということ。

例えば、今回は3ヶ月間かけて「ちょうだい」をマスターしていく訳だけど、

私は「サイン全て」をマスターさせたい(半年ぐらいかけて)という感じで

漠然とスモールステップを捉えていた。相変わらず雑な自分…。

というより、自分はまだまだ息子に過度な期待や要望を持っているんだなという

ことが分かった。

 

実際の療育は4月の終わりから始まるので、その前に「アセスメント面談」

というのがある。保育士と息子が顔を合わせて、保護者の話からは分からない

実際の子どもの様子を見るというのが目的なのかな。

そこの場で先生に「ちょうだい」ができるといいんだけどな。。

 

蛇足だけれど、支援計画には「障害児」という形容詞がついていた。

改めて太鼓判を押された感じで、小さく動揺している自分がいる。

もうだいぶ慣れてきたと思っていたけれど、まだまだ自分の気持ちを

律しきれていないなと。親の気持ちのインナーマッスルも鍛えていかないと

いけないと、改めて感じた日だった。

『ビッグツリー』再読と佐々木常夫さん講演会

【新版】ビッグツリー~自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて~

【新版】ビッグツリー~自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて~

東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫さんの本。

自閉症の長男と肝硬変とうつ病を併発された奥様がいます。

奥様は3回も自殺未遂を起こしており、仕事と家族の看護を

どう両立させたのか、ワークライフバランスの代表みたいな方。

 

実は職場に復帰する少し前に(まだ息子が発達障害と診断される前)

この本を読んでいました。こんなに大変な家庭環境だった方も

仕事で活躍されている。育児をしながら仕事をするなんて全然大したことない。

そんな風に、やる気に満ちた読後感を持っていた気がします。

 

実は、たまたま佐々木さんの無料講演会に参加する機会があり、

先日、再読してみました。

同じ障害を持つ子の親として、改めて佐々木さんに勇気をもらいました。

講演会の中で共感したポイントは以下。

・愛とは責任である

・ちょっと手を差し伸べてやることが大きな救いになる

・実は日本人の5人に1人が何らかのハンデを負っている。

まるで健常者だけで存在する世の中に見えるのは、当事者が声を上げないから。

障害を持つことは悪いことでも恥ずかしいことでも何でもない。

・運命を引き受けよう

・仕事が自分にとって救いになっていたこと

 

『ビッグツリー』の中で素晴らしいなと思ったのは、次男の啓介さんの手紙。

家族関係にとどまらず、人間関係の本質的なことをずばり言い当ててると思いました。

一部引用させてもらうと、

「相手を想う気持ちがあって初めて、何をすればいいか、そしてたゆまぬ努力

が生きてくるのです。「どうしたらうまく人と接していけるのか」と

よく言いますが、その方法を考えるよりまず、どれだけその人のことを想える

かが大切だと思うようになりました」

 

講演会後、息子とご飯を食べました。

唐揚げ一人前をぺろりとたいらげたのにはびっくりしました。

夜はパパと待ち合わせて3人でお寿司。

外食オンリーの休日となってしまいましたが、大変充実した一日でした。