初登校は波乱の幕開け
入学式が終わり、今日から本格的に初登校。
集団登校の班に入り、玄関まで一緒に。
ハンカチとティッシュを携帯しなければいけないのだけど、移動ポシェットが嫌だと
怒り、学校の正門前でたたくわ、蹴るわ、最後は私に噛みついてくるわの大騒ぎ。
正門前はそれほど広いところではなかったので、少し皆の集団から離れて落ち着くまで待った。本人も抑えたい衝動のはずなのだけど、全力で抵抗するだけの何か理由があったんだろう。
移動ポシェットは、保育園ではつけていたのだけど、卒園してからしばらく外していた期間があったら、またつけたくないと言いだしてしまった。
彼のなかに「移動ポシェットはもうつけるの終わり」と決めつけてしまったのかもしれない。なかなかこだわりやMyルールが多い子なので、このルールを再学習させるのは結構時間がかかるかもしれない。
一緒に登校するのは玄関までで、支援級の担任の先生が玄関に来てくれた。
校庭で遊びたがったのだけど、先生が頭ごなしに「ダメです」「上履きをはきなさい」と指示していたのが若干気になってしまった。理由を伝えて、時間が来たら遊べると言う風に本人に伝えて欲しかった。頭ごなしに否定系で入ると、また息子が乱れるな…。
そこは折を見て先生に伝えよう。
てっきり教室まで一緒に行けるものと思っていたけれど、玄関で先生とバイバイになってしまったので、そのあとどうなったのか、本当に心配だ。。
先生の連絡帳のコメントを見て、少しずつ会話していこう。
入学式ほどではないけれど、ほんの数10分のことだけでも、ぐったりと疲れが出てしまった。
初登校はこうして波乱な感じで幕を開けた。
入学式!それはそれは…
昨日入学式だった学校は多いのではないだろうか。
我が家も入学式だった。空は快晴!桜の花も本当に美しく咲いていて、
春っていいなーと思った。
が、入学式はというと、親の私は気が気ではなく、どちらかというと桜を楽しむ余裕もなく、正直プログラム早く終わってくれないかな…の思いでいっぱいだった。
息子さんは入場こそ順調だったものの、指定されたイスに座りたくないと言い、途中から多動極まりない感じで、支援の先生がゆっくりと優しく誘導してくれたお陰で、何とか退場まではいかずに済んだという感じ。
息子は赤いベストを着ていたので、きっと「あの赤い子ね、会場を動き回っていた」という感じで見られるんだろうなぁと思うと、穴があったら入りたい思いに駆られ…。
式が終わったあとは、支援学級の教室でひとり遊んでいたようだ。
私は普通級で他の子ども達と親御さんと一緒に先生のお話、荷物の確認をしていた。
家に帰ってきたらもうぐったり、気疲れマックスで、気持ちの落ち込みようも半端なかった…。
一番頑張ったのは確実に息子なのだけど、親は何もできない分、見守るしかできなくて、それが余計に気疲れにつながった感じ。
あぁ、これから何かとイベントのたびにこうした緊張&気疲れが続くのかぁ。
もっとおおらかに、どーんと構えて息子の成長を見守りたいという思いとは裏腹に、自分の実際の心の容量がそれほど多くない現実に暗澹とした気持ちになった入学式だった。
もったいないな、この一瞬しかないイベントを味わえないなんて。
それは親である私自身が一番よく分かっている。
まだまだ鍛錬が足りないということなんだろうなぁ。
地道にがんばろ、私。
息子さんの学校生活への適応も地道に頑張るしかない。
歩はカメのようにゆっくりでも着実に。
入学式リハーサル&支援級の先生と面談
入学式の前日に、支援級の先生と面談があった。
学習指導計画というのを立てていただいたので、それを預かり、もし後日何かあれば教えてくださいとのこと。
ざっくりと大まかにマッピングされていて、おそらく相当駆け足で作っていただいたんだろうなという感じのざっくり具合。
まぁ、対峙していない子どもの学習指導計画を書くとこうなるんだろうな。
学習指導計画を出してくれること自体がありがたいと思っておこう。
今年支援級に入学するのは我が家含めて3名。支援の子どもたちを対象に入学式のリハーサルもやってくださった。
全体の進行を見せながら絵と文字で書いてもらった入学式のスケジュールを見せながら。息子は礼と座る、立つの先生の指示に従うことはできたけれど、まぁ当日はどうなることやら…。
アールブリュット?アウトサイダーアート?-そこにある価値展
表参道のGyreというファッションビルのなかでやっていた展覧会を観に行った。
4月2日までということでギリギリ直前に(汗)。
知的や精神に何らかのハンディキャップを抱えるアーティストの作品を紹介する展覧会だった。
私はアート鑑賞の素養はゼロなので、何がすごいとかかっこいいとかしか言えないのだけど、作品全体に自由と力を感じて、夢中で見ているうちに2時間とか過ぎてしまっていた。一緒に見に行った友人もそうだったようだ。
昼間は作業所やどこか別の場所で務めながら、創作活動に熱中している作家さんたち。
今回の展覧会を主催した女性は、「工房へ見学に行くと皆さんイキイキとしていて、楽しそうなんですよね」と。
公開している作品は販売もされていて、中には60万円とか値段のついている作品もあった。それもうなずけるぐらいの作品としての魅力に溢れていたし、作品からは障害者であることとかどうでもよくなってくる。
はー。こういった社会参加の形もあるんだなー。
アートは人の価値観を揺さぶる手段にもなりうるし、日常とは切り離された世界を見せてくれるし、それによって誰かとつながる手段にもなるし…。
こうした作家になれる人なんて、本当にほんの一握りかもしれないし、ここを目指そう!と思った訳ではないけれど、息子が夢中になれるもの、好きだなーと思って熱中できるもの、自分の気持ちを表現できる手段を何とか見つけてあげたいな…と思った。
企業勤めをしている私自身が、心のどこかで「企業就労こそが自立の最終形」みたいに感じていたのかもしれない。自分自身の価値観の偏りに改めて気づかされたという意味でも、息子の自立への新しいヒントをもらった日だった。
リセットするヨガ
ヨガを始めてまだ1ヶ月ですが、本を読むのが好きなので、ヨガ関連の本を漁ってます。
この本はヨガの先生が書いた本で、なぜヨガをするとリセットできるのか、呼吸との関連性などメカニズムをちゃんと書いてくれています。
ヨガは究極、”Don't think ,feel”の世界なのかもしれないけれど、どうして呼吸すると心が落ち着くのか、ポーズを取ると頭の中がすっきりするのか、メカニズムを知りたいと思っていました。
でも、基本文系なので、生理学的なことを言われても、よく分からない(苦笑)。
自分の能力&解釈力とヨガの奥深さが掛け合って、いまだヨガは遠い存在ではあります。でも、この本はその距離を少しだけ縮めてくれように思います。
要は分かりやすくて説得力がある本です。
もしかしたら、著者の方が精神保健福祉士であるということに影響されているかもしれません。メンタルを崩した方たちと接するお仕事をしている人がヨガを欲して、深く追求しているということに、心と体の結びつきをリアルに感じているのです。
この先生、自由が丘でヨガスクールを開催しているようなので、一度体験してみたい。よかったら、ここが主宰するヨガインストラクタ―スクールにでも申し込もうかしら。密かに思っています。
学童説明会&面談
学童の説明会と面談に行ってきた。
要支援枠に入れたので、加配の先生が一人ついてくれるという。
安心した!
とはいえ、古くて若干狭い建物のなかに、1年生から6年生まで総勢60名弱が過ごすという。これは息子にとってかなり刺激の多い場所である。
一応、小部屋が2部屋あって、そこに避難できるようにはなっているのだけど、それでも音も刺激も多くて、息子さんにとっては疲れるだろうな…と直感的に感じた。
学童の先生方は、要支援の子に慣れているようだったけれど、念のため知能テストの結果を持っていった。客観的に認知レベルを把握しておいてもらうのがいいかなと思ったからだ。
加えて、保育園での過ごし方と、どんな時に落ち着いて、どんな時にパニックになるのか、その場合どういう対応をしているのかといったことをなるべく丁寧に説明した。
事前に相手が対策を準備できるよう、必要な情報を渡しながら誠実に対応するのがいいだろうと思う。
先生方もホッとした様子で「普通の子でも1学期は学童に慣れるのが精いっぱいなので、息子さんはもう少し時間がかかるという風に思っておきますね」と。また、「息子さんにとって学童という場所が少しでも過ごしやすい場所になるよう、私たちも頑張ります」とも言っていただいた。
順調にいけば、要支援の子は6年生まで通うことができる。先生方ともしっかり連絡を取り合いながら、息子にとって快適な環境を提供するサポーターになっていただければな…という思いでいる。
どうか、息子が学童を好きになってくれますように!!!
療育が終わった
先週土曜日は3歳からお世話になった療育の修了お祝い会だった。
年長さんなので、セリフのある「白雪姫」の劇をやった。
一応息子さんも小人の役をもらい、最初のほうは出たのだけど、結局途中から乱れてしまい、最後までは登場できなかった。
他のお友達は皆頑張っていたのだけど、我が家の息子さんは本当にマイペースで…。
あーあ。最後ぐらい舞台で挨拶していた姿を見たかったなぁ。
しかし、そういえば昔を振り返ってみても、いつも舞台上では乱れるのが息子さんだった。3歳の頃は親(私)と一緒に登壇して、舞台上で大泣きしてしまい、私はみじめな思いでいっぱいで、泣きそうだった。
私が泣いてどうするんだと、歯を食いしばって息子を励まし続けたけれど。
3年経過して、私もだいぶタフになったというか。今回も最後までできなかったけれど、息子が頑張ったんだからいいじゃん!と思えるようになった。
ここの療育は、私が息子の発達が遅いと気付いて、ほぼパニックになりながら、不安な気持ちを抱えながら、入ったところだった。
先生方に迎えてもらわなかったら、私は息子の子育てにつまづき、もっと孤独を感じていただろう。
今は当時ほど療育には期待しない自分がいるけれど、それは療育に通うことができたから思うことなのだ。働いている人だったり、親の介護とかで療育へ行きたくても行けない人もきっといる。
療育に通うことができたから今の私がいる。
4月からは、隔週で土曜日に通うだけ。これまで週に2回は行っていたから、数が減るとやっぱりちょっと不安になる。
まぁでも、今は小学校に慣れることが最優先だな。
落ち着いたらまた考えよう。