自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

小学校が決まった

息子が通う小学校が決まった。

公立の特別支援学級へ進むことになったのだ。

地域の学校へ通うという、ごく当たり前なことが、当たり前に進まないのが障害児だ。

ここまで来るのに何か月かかったことか。何度心が折れそうになったことか。

何回泣いたことか(事情を知らない息子が慰めてくれたのは嬉しかった)。

障害がある子の場合、就学相談というのを受けることになる。

(就学相談については、別の記事で全体の流れと目的、心構えをまとめる予定だ)。

 

我が家の場合は、教育委員会の見立てと我が家の意向がズレていたために、多くの話し合いの場を持つことになり、数ヵ月もかかってしまったというわけだ。

 

定型発達の人達にとっては当たり前すぎて何のありがたみもないであろう、地域の学校へ通うということを実現するために、障害があるというだけで多くの労力とエネルギーを割かないといけない。正直、何度も不条理さを感じたものだ。でも、これが日本の現実なのだと思う。

 

「お宅の息子さんはここができない」と、苦手な部分ばかりを見せつけ、どうすれば参加できるのかという視点に立った見立てを行わない教育委員会

「昔、お宅と同様の家庭が支援学校判定が出ていたのに支援学級に進ませたことで入学早々に不適応を起こした」と、判定に異議を唱える親に対して脅し系のフィードバックを行う教育委員会

私は教育委員会は味方であると思っているし、喧嘩をしたい訳ではない。

事実そうした例はたくさんあるんだと思う。そうした事実を受け止めつつ、でもそうであったとしても、親としてどんな環境で子どもを育てたいのか、という意思決定をしていくのだと思う。

いざ入ってみて、息子がどんな反応を見せるのか、事態がどう転ぶかは本当に分からない。もしかしたら、本当に不適応を起こしてしまうかもしれない。

でも、そうなった時のプランAやプランBはしっかり考えながらも、そうならないように最善の努力をしていきたい。

小学校へ決まったという嬉しい日のはずなのに、ホッとした反面また不安な気持ちでいっぱいになるというのもどうかと思うけれど。

 

でも、まずは先輩ママさんが声かけてくれた言葉を胸に、安堵しようか。

他のご家族と同じように、これからの入学準備をわくわくしながら楽しんでください。この瞬間は一生に一度きりですから」

 

 

最近の悩みごとその①

息子(3歳)は、まだ言葉が話せません。片言で、パパ、ママ、じじ、

ねね、でんしゃなどが発信のメイン。二語文はまだまだという感じ。

療育へ通い始めて2ヵ月が経ち、ママ友達ともだいぶ打ち解けています。

あるママさんは、私の息子と同じ言葉の課題を抱える息子さんがいました。

小学生になるのに片言だそうで、別の区にある言語療法のクリニックに

通っているのだそう。

彼女の話を聞いていて、そう遠くはない息子の未来と重なってしまい、

みるみる気持ちが不安定になっていくのが分かりました。

息子とその子は抱えている課題も違うし、性格も何も全く違うケースの

はずだけれど、息子も小学生になっても片言しか話せないかもしれない…。

そう思ったら、今の療育も本当に中長期で結果が出るのか…。

私が在宅までして取り組んでいることは意味がないのではないか…。

そんな風に不安のループにはまってしまいました。

普段は前向きだけれど、こんな風に何かほんのちょっとの出来事で

あっという間に足下がぐらついてしまう。

自分の胆力のなさが情けなく感じます。

まだまだ未熟だということ(認めたくないけど)。

そんな私とは裏腹に、息子は着実に成長しています。

最近、息子の中にもいろんな気持ちが出てきてるようで、

ただ言葉では表現ができないから、「きーっ」と奇声を発するように

なってしまいました。先生に相談すると、これは成長の一段階だそうで、

決して問題行動ではないそう。そういう時はなるべく息子の気持ちを

受け止めるよう「○○だったんだー」とか、そういったリアクションを

してあげてくださいとアドバイスを頂きました。

言うは易しとは思うけれど、なるべく先生のアドバイスを取り入れて

私も胆力を鍛えないとな、と思うこのごろです。

 

療育ママ友達の涙

通っている療育では、その月の誕生日をお弁当の時間にお祝いする。

4月生まれの男の子がいたので、皆で歌を歌いながらケーキでお祝いをした。

男の子のママが

「ここへ通い始めた1年前は、息子はできないことばかりだった。ここまで成長してくれて本当に嬉しい」と、涙しながらコメント。

いつもクールな印象のママだったから、彼女の涙に、こちらも思わずもらい泣き。

みんな言葉に出さなくとも、色々な気持ちを抱えながら療育へ通ってきているのだ。

必ずしも前向きな気持ちだけじゃない、ネガティブとポジティブを行ったり来たり

しながら一歩ずつ前へ進んでいくしかないんだ。

息子は6月生まれ。私はどんなメッセージをしよう。

療育スタート

火曜日の療育がスタートしました。

母子共にお弁当持参で、朝は10時までに登園します。

自分の名前が貼られたロッカーに荷物を置き、出席表にシールを貼ります。

朝の会が始まるまでの30分間は自由遊びの時間で、息子はプラレールを見つけると、

大好きなしまじろうをさっさとホッポり出して、電車に夢中になっていました。

朝の会では、児童が椅子を並べてそこへ座り、名前が呼ばれるまでじっと我慢して

待つ練習。息子は一人ではじっと座れないため、私が抱っこしていました。

息子は自分の自由にできないからえびぞって抵抗しますが、じっと我慢。

これが結構体力使います。

名前呼びが終わると母子の活動がスタート。

具体的には、遠足バス、赤い鳥、ちゅうちゅうねずみ、一本橋等の歌に合わせて

一定のリズムで母子が分離して母のところへ戻ってくる練習などをします。

療育を始めた最初の頃は、私と少しでも離れると泣きわめいて大変だったのに

今はニコニコ笑いながら私のところへ駆け戻ってくる。成長を感じました。

お昼は母子で食べます。少し上のお兄ちゃんたちは母子分離で食べていました。

完食するとみんなで褒めます。褒めると達成感に満ちた表情をしていたのが印象的。

ただ、昼食に関しては息子は課題を感じました。

椅子に座っていることができないから。途中で立ったり、床に座ったり、

私の膝に座ってこようとしたり…。

食事の間は椅子にずっと座っていられるようにするにはどうしたらいいのか。

今後先生に聞きながら考えようと思いました。

「療育」といっても、別に訓練じみたことをするのではなく、身辺自立(自分の

ことは自分でできるようになること)と体を動かす中で母子の愛着形成を促す

ことを目的としているようです。

療育自体の成果を期待するよりも、そこで出会った自分と同じような悩みを抱える

お母さん達との交流に期待しています。

家庭での接し方を見直したり、コミュニケーションで工夫できる情報を交換し合ったり。私自身が変わっていくきっかけになるといいなと改めて実感しました。

 

 

療育説明会に参加

4月から週に1回通う区が実施している療育施設へ、通所説明会に行ってきた。

3月にも支援計画を立てるための面談というのを1時間してきたのだけど

今日はその時のインタビューを元に支援計画書というのが出来上がっていた。

息子の支援計画は、長期目標が「要求、拒否を自分から伝えられること」。

そのための短期目標が「サインを使って自分の要求を伝える」こと。

具体的には「ちょうだい」のサインを、自分が欲しいタイミングで自分から

出せるようになること。3ヶ月間が目標で、6月にモニタリングを行うそうだ。

 

療育では、スモールステップ(小さな成功体験を積み重ねていくこと)が

大切というけれど、この支援計画を見た印象は

「ここまでスモールなのか」ということ。

例えば、今回は3ヶ月間かけて「ちょうだい」をマスターしていく訳だけど、

私は「サイン全て」をマスターさせたい(半年ぐらいかけて)という感じで

漠然とスモールステップを捉えていた。相変わらず雑な自分…。

というより、自分はまだまだ息子に過度な期待や要望を持っているんだなという

ことが分かった。

 

実際の療育は4月の終わりから始まるので、その前に「アセスメント面談」

というのがある。保育士と息子が顔を合わせて、保護者の話からは分からない

実際の子どもの様子を見るというのが目的なのかな。

そこの場で先生に「ちょうだい」ができるといいんだけどな。。

 

蛇足だけれど、支援計画には「障害児」という形容詞がついていた。

改めて太鼓判を押された感じで、小さく動揺している自分がいる。

もうだいぶ慣れてきたと思っていたけれど、まだまだ自分の気持ちを

律しきれていないなと。親の気持ちのインナーマッスルも鍛えていかないと

いけないと、改めて感じた日だった。

『ビッグツリー』再読と佐々木常夫さん講演会

【新版】ビッグツリー~自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて~

【新版】ビッグツリー~自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて~

東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫さんの本。

自閉症の長男と肝硬変とうつ病を併発された奥様がいます。

奥様は3回も自殺未遂を起こしており、仕事と家族の看護を

どう両立させたのか、ワークライフバランスの代表みたいな方。

 

実は職場に復帰する少し前に(まだ息子が発達障害と診断される前)

この本を読んでいました。こんなに大変な家庭環境だった方も

仕事で活躍されている。育児をしながら仕事をするなんて全然大したことない。

そんな風に、やる気に満ちた読後感を持っていた気がします。

 

実は、たまたま佐々木さんの無料講演会に参加する機会があり、

先日、再読してみました。

同じ障害を持つ子の親として、改めて佐々木さんに勇気をもらいました。

講演会の中で共感したポイントは以下。

・愛とは責任である

・ちょっと手を差し伸べてやることが大きな救いになる

・実は日本人の5人に1人が何らかのハンデを負っている。

まるで健常者だけで存在する世の中に見えるのは、当事者が声を上げないから。

障害を持つことは悪いことでも恥ずかしいことでも何でもない。

・運命を引き受けよう

・仕事が自分にとって救いになっていたこと

 

『ビッグツリー』の中で素晴らしいなと思ったのは、次男の啓介さんの手紙。

家族関係にとどまらず、人間関係の本質的なことをずばり言い当ててると思いました。

一部引用させてもらうと、

「相手を想う気持ちがあって初めて、何をすればいいか、そしてたゆまぬ努力

が生きてくるのです。「どうしたらうまく人と接していけるのか」と

よく言いますが、その方法を考えるよりまず、どれだけその人のことを想える

かが大切だと思うようになりました」

 

講演会後、息子とご飯を食べました。

唐揚げ一人前をぺろりとたいらげたのにはびっくりしました。

夜はパパと待ち合わせて3人でお寿司。

外食オンリーの休日となってしまいましたが、大変充実した一日でした。

 

発達障害だって大丈夫

素敵な本を読みました。

発達障害だって大丈夫―自閉症の子を育てる幸せ

発達障害だって大丈夫―自閉症の子を育てる幸せ

教育心理学者・小説家・3人の子どもを育てる母と、

3つの顔を持つかっこいい働く女性が書いたノンフィクション。

彼女の2番目のお子さんが、自閉症です。

 

堀田さんの著書は初めて拝見しましたが、全体から感じる

飾らない率直なテイスト、ユーモアが好きだなと思いました。

 

心理学のプロはどんな療育生活をしているのだろうという

興味があったのですが、この本で描かれているのは、

一人の母親として、真摯に子ども達に向き合う普通の母親の姿です。

いつも笑って、時に泣いて、怒っている姿に当事者の母として共感しました。

印象的なフレーズをメモしておきます。

 

「何がこの子のためになるのか」

親のための選択であってはいけないということ。

親が安心するために、普通学級に入れるのはよくないし、

世間体のためであるならなおさら「よくない」と強く言いたい。

子どもは長い時間を学校で過ごします。

そこが快適な場所でなければ、生きている時間が辛くなります。

悪気はなくても、普通学級以外を隔離病棟だといった偏見で受け止める

人が多数いるのを実感しています。

でも、親までもがその偏見に巻き込まれてはいけません。

障害と共に生まれてくるのは、悪いことでも恥ずかしいことでもありません。

先天的にある一定数障害をもって生まれてくこの子は、他の子よりも

不具合や不自由を一人で負ってくれている子なんだという視点も必要だと思います。

 

堀田さんの著書を読み、息子を世間の目から守らなければということに

捉われていたかもしれないと気づきました。

守らなければいけない時もあるし、守ることは大事なんだけど、

それよりも、息子を一人の人間としてリスペクトする視点のほうが

もっと大事なのではと感じました。

今後、息子の環境が変わる節目ごとに、この本を読み返し、息子にとって

大事なことは何かという視点を見失わないようにしたいと思いました。