自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

新しい学びと7歳の誕生日

 

息子が7歳になった。週末は親族を呼んでパーティをしたので、誕生日当日は

私と近所の回転寿司でこじんまりと。

振り返れば、ほんの少し前はお店に入って夕食を取るということ自体が叶わぬ夢だったように思う(大げさだけど本当にそれぐらい大変だった)。

 

今は大きな声でわめくこともなければ、お店の中を歩き回ることもなく、好きなジュースと鉄火巻をご機嫌に食べている。私とふたりで過ごしている時の息子は本当に穏やかで、にこにことご機嫌な笑顔は最高にかわいいのだ。

 

息子は泣いている子を見ると「大丈夫?」と声をかけたり、病院でも車いすのおじいさんに「早く良くなってね」と声をかけたりととても優しい性格の持ち主だ。

 

こうした他者を思いやる気持ちは、これまでの7年間の積み上げがあったからこそなのかもしれない。

自閉症児は、他者の気持ちが分からない、いわゆる「心の理論」をクリアできないと一般的に言われているけれど、息子を見ると本当にそうかなー?と感じることがある。

障害といっても本当にその出方は人さまざまだなと思う。

 

凸凹はたくさんあるし、むしろ苦手なことのほうが多いけれど、そして何かとできない部分を矯正することに躍起になりがちだけれども、こうした「人間の核」みたいなものを大切に大切に育んであげたいなと思う。

これまでの7年間も本当に貴重な時間(早期療育が叫ばれている今の世は特に)だけれども、幼児から青年へと変化していくこれからの6年間こそ、本当に大切な時期なのだと実感する。

以前療育の先生からも「小学校は何となく過ごしているとあっという間に高学年になる。だからこそ、小学校の6年間でどんなことを身に付けさせたいのかを意識することが大事だ」と言われたことがある。

だからこそ、ABAをちゃんと勉強し直そうと思ったのだし、最近新しい学びを始めた。

「子育て・ファミリービルディング」をテーマにした学び。

発達心理学をベースにしていて、人は誕生から死に至るまでどんな段階を踏んでいくのか、どんな風に社会(家族や友人、地域や広く世の中)と関わっていくのかを学ぶ。

 

通信教育で心理学を勉強していたので、既に知っていることも多いけれど、改めて学びを深めるいい機会になっている。

 

定型発達の子ども達だって、年齢に応じた発達課題を克服して成人になる。

発達障害・自閉の子どもだって例外なくそうした発達課題を乗り越えなければいけない。人間が成長するステップは、障害あるなしに関係なく共通だ。ただ、その乗り越える過程で、支援する方法に多大な工夫と時間をかけなくてはいけない。そして、時間をかけたからといって、定型発達の人達同様のレベルにまで到達する保障もないから、療育を頑張っている親ほど、徒労感を味わったり、疲れてしまうのだろう。

 

でも、新しい学び場から教わったことは、どんな人だって、どんな年齢になったって人は成長するということだ。人が成長する・人の可能性を信じることを諦めてはいけないということ。くじけそうになっても、「次こそは」とめげないこと。

 

7年間息子と向き合う過程で楽しいことも、嬉しいことも、大変なことも、ショックなことも、落胆することも、イライラすることも、それこそ数えきれないほど味わってきた。

定型発達の子どもを育てる親御さんよりも、いろんな感情の荒波にもまれてきた自信がある(笑)。

当初思い描いていた幸せとはまた違った幸せの形だけれど、私はやっぱり息子と出会えて本当によかった。もうそれぐらい、私の人生の一部であり、息子が息子なりの自立を目指すことは、私自身の目標なのだ。

 

息子がどんなハンディキャップを持っていようとも「自分の人生は面白いし楽しい」と思える大人になれるよう、後方支援を続けていきたいなと思う。