自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

2学期突入!そして1年前の自分に伝えたいこと

あっという間に夏休みが終わり、2学期に入った。

…のが、かれこれ1ヶ月前だ。

それだけ怒濤だった。

だって、9月になるとすぐに9月末に開催される運動会の練習の日々に入った。

 

毎日全校練習だの、徒競走の練習だのにかり出され、息子も毎日相当疲れていそうだったから、家では徹底的にのんびりさせることにした。

もうドラえもんクレヨンしんちゃん等彼の大好きなアニメをだいぶ見せてた。

だって、学校ですんごい頑張ってるからね。通常の子以上に。

「目の下にクマ」が何よりの証拠。

毎日21時前には寝かせているのに…。

 

それだから、きっと定型発達の子には何ともない刺激をたっくさん受けて、ヘットヘトなんだろうと思って、これ以上の負担をかけたくなかった。

で、迎えた運動会当日。

 

それはそれは、胸アツの結果になったので、また別のところでじっくりと書くとして。

 

そういえば、1年前は就学相談のことで、心底悩み、しんどい思いをして、何度も泣いていて、到底明るい気持ちにはなれなかったことを思い出す。

 

そんな自分に声をかけたいと思うのは、こんなことだ。

 

「子どもにとって必要な支援を受けられるかどうか、そこは誰もが気になるところ。そして、どんな環境(我が家の場合、支援学級か支援学校か)を選んでも、そこは常に学校や先生に要望し続けなければいけないことだと思う(なので、どこを選んだから安パイというのはないぞという意味)。

 

支援学校か支援学級か、どちらかを選んだ時、必ず「トレードオフ」というのが発生する。例えばそれは、支援学校を選んだ場合は、通常発達の人達との交流が断絶されるということがそうだし、支援学級を選んだら、(より)手厚いフォローアップを受けられないがそれにあたる。

(どちらを選んだとしても、足りない側面に関するフォローアップが必要だよ)

 

だから、どちら(支援学校か支援学級か)を選んだとしても、いいよ!と私は思う。

だって、それがゴールじゃないから。そこからがスタートだから。

 

我が家の場合で言うと、就学相談の人達の判定は「支援学校」だった。

だけど、運動会の様子を見るに、私達の選択(公立の支援学級)は間違っていなかったと腹の底から言える。

 

就学相談に乗っていただける行政の方々は、さも「あなたのお子様のため」的なアプローチでくるので、彼らが勧める選択肢が正義!と思ってしまいがちだ。

だが、待てよ。と私は言いたい。

人は、人との関係性のなかでいくらでも変化していくものだ。

それは大人でも子どもでも。

 

これまでの臨床の成果か、事例のお陰かで予測できる部分もあるかもしれないけれど、その子の能力や可能性を、就学相談チームの人達の独断で判断されたくないと心底思う。まして、会って数時間の人達だ。何の文脈も共有していない、名前も顔も知らない、ただ、資格があるだけの人達。こちらもあくまで参考意見として聞いておくだけでいいと思う。

 

だから、改めて過去の自分に言いたいのは「あなたが自分の子どもを一番見ているのだから、あなたが決めたことはある一定以上正しいよ」ということ。

そして、どんな環境を選んでも、やっぱり先生との出会いは運任せなところがある。

だから、入ってみないと分からないよとも。

 

就学先はひとつのゴールだけど、むしろ、始まりなのです。

どんなところを選んでもOK。そこから頑張ろうね!ということを伝えたい。