自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

自閉っ子2学期を無事乗り越える

そういえば昨年の今ごろは就学相談で支援学校判定が出て、年明けにまた委員会で話をしましょうということになり、あまり明るい気持ちで年越しできなかったな。

 

今年はというと、息子がクリスマスにインフルエンザになり、療育のウインタープログラムへ通う予定がキャンセルになったのだった(半額返ってきたけど、お金が。涙)

 

ついでに、旦那もインフルになり、パンデミックか!と戦々恐々していたものだけど、なぜか私は無事で。クリスマス、年末ともにとても静かに過ごしたのだった。

 

前回ブログを更新したのが夏休みが終わったばかり。

10月から私も仕事内容が変わり、仕事に集中して取り組んでいたので、ブログをゆっくり書く気持ちのゆとりがなかった…。

今年は息子の成長記録兼私のストレス発散のために継続していこう!

 

ちょっと振り返ると、

2学期は運動会に学習発表会に月1回の学校公開等、本当に行事が多くて息子にとっても見通しが立たない日が多くて疲れただろうに、それでも頑張り抜けたのはすごい!

 

4月の入学時に比べたら、言葉も本当に増えてきており、学童の先生からも「他の子どもよりも我が家の息子が一番伸びている」と言ってくださるほど。

小学校1年は、どの子もぐーんと伸びる時期ではあるのに、先生がそう言ってくださることでずいぶん勇気をもらえた。

 

息子ともずいぶん双方向な会話のやり取りというのができるようになってきていて、こちらも会話をするのが楽しい。

文字の読み書きは依然課題だらけなのだけど、彼の認知レベルを鑑みるとまぁそんなもんだろうという感じ。

20歳までにあと13年ぐらいかけて(笑)、日常生活に必要な読み書きを身につけさせようと思っている。

 

それよりも、泣いている子を見たら「大丈夫?」と声をかけることができたり、自分の思うように事が進まなくてもかんしゃく出さずに我慢ができるとか、そういった「心」が育っていることが大事だと自分に言い聞かせている。

 

小学校1年生も残すところあと数ヶ月。

小学校入学前までの道のりは果てしなく遠くに感じたけれど、入ってみると本当にあっという間。

息子が青年になるまでの一日、一日を大切に過ごしたいと思う。

 

2学期突入!そして1年前の自分に伝えたいこと

あっという間に夏休みが終わり、2学期に入った。

…のが、かれこれ1ヶ月前だ。

それだけ怒濤だった。

だって、9月になるとすぐに9月末に開催される運動会の練習の日々に入った。

 

毎日全校練習だの、徒競走の練習だのにかり出され、息子も毎日相当疲れていそうだったから、家では徹底的にのんびりさせることにした。

もうドラえもんクレヨンしんちゃん等彼の大好きなアニメをだいぶ見せてた。

だって、学校ですんごい頑張ってるからね。通常の子以上に。

「目の下にクマ」が何よりの証拠。

毎日21時前には寝かせているのに…。

 

それだから、きっと定型発達の子には何ともない刺激をたっくさん受けて、ヘットヘトなんだろうと思って、これ以上の負担をかけたくなかった。

で、迎えた運動会当日。

 

それはそれは、胸アツの結果になったので、また別のところでじっくりと書くとして。

 

そういえば、1年前は就学相談のことで、心底悩み、しんどい思いをして、何度も泣いていて、到底明るい気持ちにはなれなかったことを思い出す。

 

そんな自分に声をかけたいと思うのは、こんなことだ。

 

「子どもにとって必要な支援を受けられるかどうか、そこは誰もが気になるところ。そして、どんな環境(我が家の場合、支援学級か支援学校か)を選んでも、そこは常に学校や先生に要望し続けなければいけないことだと思う(なので、どこを選んだから安パイというのはないぞという意味)。

 

支援学校か支援学級か、どちらかを選んだ時、必ず「トレードオフ」というのが発生する。例えばそれは、支援学校を選んだ場合は、通常発達の人達との交流が断絶されるということがそうだし、支援学級を選んだら、(より)手厚いフォローアップを受けられないがそれにあたる。

(どちらを選んだとしても、足りない側面に関するフォローアップが必要だよ)

 

だから、どちら(支援学校か支援学級か)を選んだとしても、いいよ!と私は思う。

だって、それがゴールじゃないから。そこからがスタートだから。

 

我が家の場合で言うと、就学相談の人達の判定は「支援学校」だった。

だけど、運動会の様子を見るに、私達の選択(公立の支援学級)は間違っていなかったと腹の底から言える。

 

就学相談に乗っていただける行政の方々は、さも「あなたのお子様のため」的なアプローチでくるので、彼らが勧める選択肢が正義!と思ってしまいがちだ。

だが、待てよ。と私は言いたい。

人は、人との関係性のなかでいくらでも変化していくものだ。

それは大人でも子どもでも。

 

これまでの臨床の成果か、事例のお陰かで予測できる部分もあるかもしれないけれど、その子の能力や可能性を、就学相談チームの人達の独断で判断されたくないと心底思う。まして、会って数時間の人達だ。何の文脈も共有していない、名前も顔も知らない、ただ、資格があるだけの人達。こちらもあくまで参考意見として聞いておくだけでいいと思う。

 

だから、改めて過去の自分に言いたいのは「あなたが自分の子どもを一番見ているのだから、あなたが決めたことはある一定以上正しいよ」ということ。

そして、どんな環境を選んでも、やっぱり先生との出会いは運任せなところがある。

だから、入ってみないと分からないよとも。

 

就学先はひとつのゴールだけど、むしろ、始まりなのです。

どんなところを選んでもOK。そこから頑張ろうね!ということを伝えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自宅で療育」の難しさ

我が家の療育スタイル

・月に3回土曜日朝10時~13時までお昼持ちの個別~小集団の療育に2年前から通っている。ここでは運動プログラム+個別学習が中心。

・金曜日にはソーシャルスキルトレーニングに重点を置いた放課後デイサービスへ通っている。

・自宅では絵カードとひらがなのマッチング課題、自分の名前のなぞり書き課題を併せて15分ほどの学習時間を設けている他、運動も平均して週に2~3回ぐらい、ふっきんやスクワットなどの簡単なものをやらせている。あとは自分で食べた食器は片づけをさせることは習慣づけるようにしている。

・自宅でやる場合、出来た課題にシールを貼るなどの見える化している。

いつやっているか

息子が学校から帰宅し、おやつを食べてひと息つき、夕飯を食べる前、見たいテレビプログラムの前に、テレビが見えることをごほうびにしながら「これをやったら見れるよ」という感じで促している。

最初は「僕頑張る」と言っていたのだが、今週はなかなかやりたがらず。

スクワットやふっきんなどをちょっと頑張らせてみたものの、「やりたくない!」と爆発してしまう始末。あやうくまた奇声を上げてパニックを起こしかねない状態に。

させたくないものの、「習慣が人を作る」という言葉に怯える

本人がやりたくないものでも、少しでも頑張らせるという経験を積ませることは大事だと思う一方、本人がやりたくないものをどこまで強制力を働かせながら頑張らせればいいのか分からなくなる。

結局本人が「やりたくない」と言ったところで辞めてしまうこともあるので、「駄々をこねればやらなくていい」という誤学習にもつながっている気がするし。。。

きっとそういう場合は、回数を減らしてでも、本人に本当に少しだけ頑張らせる、あくまでも親が主導で辞めさせるという態度は崩してはいけないんだろうなと思うものの…。意志を強固に持つというのは、言うは易いが行うは難しなんである。

それでも「明日はできるかもしれない」と信じることなのか…

ここで親が匙を投げてしまったら、息子の成長は止まってしまう。

できなくても、くよくよしない。明日はきっとできると信じること。

こんな風に自宅療育の難しさと葛藤している。

 

 

 

気が滅入る時は深呼吸しよう。

昔は毎日泣いていた。今はほとんど泣かない。

障害のある子どもを育てていると、楽しく豊かな時間がある一方で、ものすごく気が滅入る時もままある。

というか、障害受容が進んでいなかった時はむしろ毎日が辛くて、毎日泣いていた。

療育へ向かう車を運転している時(ひどい泣き顔を隠すためにサングラスかけてた)、夜子どもが寝静まったなかでパソコンでfacebookを見ている時とか「子どもがこんな絵を書いてくれました」「ひとりで文字が書けるようになった。すごいね!」とかそういったコメントを読んでは、我が家とのほど遠い差を感じて、泣いていたり。

見なきゃいいのに、読んじゃったりして。むしろ泣きたいから読むんでしょ?と自分にツッコミを入れたくなるぐらい、毎日泣くことが日課みたいな。

 

が、そういう落ち込む日々を過ごすと、いつのタイミングかであまり泣かなくなる。

それは、障害児との子育てに終わりがないことにようやく気づくから。

泣いて終わりがくるのであれば、いくらでも泣くのだけど、泣いても終わらないことを自覚していくので、そこからは割と泣かなくなってくる。

 

すると不思議と、人と比べなくなり、自分の子育てを肯定できるようになってくる。

息子との日々が面白いなと感じられるようになったり、穏やかで落ち着いている息子の顔を見ると、感謝の気持ちすら湧いてくることだってある。

そうはいっても地雷はそこかしこにある

ただ、それは「落ち着いて穏やかな」息子の時に感じること。

まだまだ条件付きでしか、息子の自閉症特性を肯定できていない自分に気づく。

そう思ったのは今日の学童の付き添いの時。

小学校のプールが始まったのだが、息子が行きたくないと大騒ぎして、奇声&自傷オンパレードで乱れたのだ。

前日の夜に事前に告知もしていたし、その時は「うん、僕頑張る」と言っていたのに。

もしかしたら無理していたのかもしれない、その時は真剣に頑張ると思っても、いざ目の前にプールに行かなくちゃという現実に目を向けた時に嫌になっちゃったのかもしれない。なのだが、耳をつんざくような奇声と、それに伴ってこちらを叩いて抵抗してくる息子と向き合うのは、なかなかに辛い。

 

そんな時に、定型発達の子どもが普通にプールバッグを抱えて、暴れて乱れている息子の横を通り過ぎるのを見ると「どうしてうちの子どもは普通のことができないんだろう」の「どうして?どうして?どうして?」ループに呑み込まれていく。

 

そういう時だ、鼻の奥がツーンとなり、自然と涙が流れ落ちてきそうになるのは。

ただ、ぐっと我慢する。大人だから。絶対に人前では泣かない。

泣くなら自分ひとりの時だと決めている。

地雷はそこかしこに潜んでいるのだ。

 

東田直樹さんの本の一説に救われる

飛び跳ねる思考」のなかにこんな一説がある。

苦しくてたまらなくなると、空を見上げます。

目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空と白い雲です。

見ている僕はひとりぼっちなのに、世界中の人とつながっている気分になります。

自然はどんな時も、人々に平等です。そのことが僕の心を慰めてくれるのです。(中略)

つらい気持ちは、どうしようもありませんが、ひとりではないと思える瞬間が、僕を支えてくれます。

 

これを読んで以来、泣くのを我慢する時、空を見ながらすーーーっと深呼吸するするようになった。鼻から思い切り息を吸って、ゆっくりと時間をかけて吐いていくと、気持ちが落ち着くようになった。

 

9月が始まり、2学期になると運動会の練習等でまたしんどい時期が来るだろう。

その時に、私の心が強くならないと、息子のことは支えられない。

深呼吸&鍛錬で、乗り越えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【夏休みの宿題対策】絵日記のサポート我が家の場合

私は絵心がない。昔から絵を書くのが苦手で、図工の時間、写生の時間が苦痛で仕方なかった。だから、息子の夏休みの宿題で絵日記が出てきた時は、本当に目が白目になった。息子はひらがなも満足に書けないし、絵だって殴り書きから脱していない状態。

 

そんな子にどうして絵日記なんて書かせるんだろう。目的が分からないけれど、まぁ仕方ない。一応支援級の先生に相談すると、「お母さんが絵を書いてそれに色を塗るでもいいです。文章は本人に聞き取りして、それをお母さんが代筆してください」と言うので、今年はとりあえずその通りにやってみることにした。

 

ただ、冒頭にも言った通り私は絵が大嫌いだ。写真をそのまま貼付けようかなと思っていた矢先、ネットサーフィンをしている時に、パイロットから「写真を塗り絵にできるWebアプリ」なるものがあったのを見つけたので、これを使うことにした。

 

数枚写真をアップロードすると、輪郭だけ残って塗り絵ができるようになっている。

学校指定の絵日記フォーマットに沿って縮小コピーし、絵の部分に貼付けた。

息子と会話をしながら、塗り絵をしたら、意外と彼も気持ちが乗ったのか、頑張って色を塗ってくれた。

あとは会話をしながら、息子に「おいしかった?おいしくない?」とかイエス・ノーで応えられる質問を投げかけながら、本文に代筆していった。

他のお子さんの子どもの絵に比べると、「元々は写真」なので、若干違和感はあるけれど、息子なりの絵日記は完成した。息子との共同作業、合作が終わって少しホッとしている。

母の夏休み ヨガの3日間集中講座に行ってきた

息子さんがおばあちゃんの家へ泊まりに行ったので、私はここぞとばかりに自分のためにヨガの3日間集中講座へ参加してきました。

 

朝10時30分から18時30分まで、途中1時間の休憩を挟むけれど、みっちり丸一日ヨガ三昧。飽きるかなーと思っていたけれど、とんでもない!

骨盤や股関節、脊柱など解剖学についての座学をしながら、ポーズを取ることで自分の体で動きを理解したり、ペアワークを通じて相手の体を見る練習などさまざまな角度からヨガを深めていく講座でした。

楽しく体を動かし、たっぷりと呼吸をし、リラックスし切る経験をできたことは、本当にストレス解消になりました。

先生は「弱っている人、弱っている時ほどヨガは効果が出る」と言っていたのだけど、まさにその通りな気がします。

 

「リストラティブヨガ」にハマる 

ブランケットやブロック、ボルスター、アイピローといったプロップス(ヨガマット以外の道具)を用いながら、無理なく胸を開いたり、足を開いていくなかで深いリラックスを導くというもの。気持ちよすぎて眠ってしまうこともしばしば。会社の先輩が「不眠症が治った」というのも納得で、体の奥のほうから回復してくる気がします。

 

仕事のことや子どもの小学校のこと、勉強や療育のこと、子どもの将来のこと、日々の夕食、週末の過ごし方等、毎日毎日頭のなかは様々な要素でいっぱいです。それもめまぐるしくマルチタスクでこなしていかないと、回りません。言うなれば「交感神経」がフルフルマックスで稼働している「動」の極みのような状態。自分では意識していないけれど、体も緊張してきっと力みもすごいと思う。

 

リストラティブヨガは、プロップスを使いながら力んだ体を緩ませ、心地よい圧をプラスしてあげることで、体全体で落ち着きを取り戻す。そして、ゆったりとした鼻呼吸によって副交感神経優位にしていく。こうした状態を10−20分キープすると、終わった後で体と心が少しずつ回復していくのだ。

 

日々消耗している心と体をこうやって解放していく時間を持つことで、明日頑張ろうという気持ちがじんわりと湧き出てくるのを感じます。

 
障害児を育てるお母さんこそ、リストラティブヨガやったほうがいい 

 

かつては、アシュタンガヨガやパワーヨガなど、体をよく動かす動的なヨガが好きでよくやっていたけれど、今はどちらかというと、ハタヨガやリストラティブなど、静的なヨガのほうが好き。やっぱり、体と心が求めているんだろうなぁと思う。

息子さんと離れる時間を持てたお陰でまた諦めずに働きかけていこうと、前向きなエネルギーをチャージできた3日間でした。

 

 

台湾旅行でパニック!原因は気圧

先日台湾へ旅行したのだけど、息子が行きも帰りも飛行機のなかでパニックになり、大きな声を出して本当に大変だった。

 

原因は「航空性中耳炎」。息子は通年性アレルギーを持っていて耳鼻科にかかっているのだけど、そういう子はなりやすいようだ。

 

行きも帰りも、飛行機が着陸態勢に入り、降下し始めた途端に「耳が痛い!」と騒ぎだし、パニックを起こすというパターンだった。

飛行機に乗ったのは3年ぶりぐらい。小さい時は全く平気だったのに、年を重ねることで出てくる症状もあるのかな…。

 

帰りは、飴をなめさせたり、飲み物を飲ませたり、つばを飲み込む、あくびをする、点鼻薬を事前に指すなどあらゆる手段を試みたのだけど、全く効果なし。

息子も「大きな声出しませんー!耳がいたいよー!!!」と、思わず声を出してしまうぐらい、本人の頑張りだけでは到底我慢しきれない痛みが襲っていたんだろう。

 

そばで励ましながらも、こんな辛い経験をさせてしまって、息子に申し訳ないと思うのと同時に、飛行機に乗り合わせた周囲の人達の冷たい視線(黙って後ろを見てくる、じーっとにらんでくる等)が痛くて、神経をすり減らした。着陸までの20分間が本当に長く感じられた瞬間だった。

何とか飛行機が着陸し、耳鳴り等が収まったのか、息子の表情も元の穏やかなものに戻っていた。そして、

「ママ、飴とかジュースとかいろいろ買ってくれてありがとう」と言ってくれたのだ。

 

こういう時、「自閉症は人の心を理解できない」と言われることが多いけれど、本当にそうだろうか?と思うのだ。

 

旅行の翌日、耳鼻科へ行き耳を診てもらったが、中耳炎にはなっていなかった。

本当に良かった。ちなみに、この記事によると、中耳炎は放っておくと死に至ることもあるらしいので、早めに耳鼻科へ行ったほうがいいようだ。