自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

学校との話し合いでプールへ入れることになりました

 

以前、息子が学校で排泄(大きいほう)を失敗したことがあった。

先生が「うんちを失敗し、しかも遊んでいた。排泄に一度でも失敗したらプールへ入れさせることはできない。校長へ相談します!」と興奮した口調で電話が来た。

 

これまで息子は排泄物で遊んだことはない。

療育の先生にも相談したら「何だろう?と気になって触ってしまっただけでは」との回答をもらった。

 

私もそうだと思ったので、連絡帳にも書いて先生に渡した。まだプールに入れるかどうかが分からなかったので、先生と面談の時間をもらい1時間ほどお話しした。

 

面談には夫も付いてきてくれた。意識して伝えたのは次のようなこと。

 

・「排泄に1回でも失敗したらプールに入れない」というルールは、定型発達の子でもそうなのか?(障害児だからそうなのではないか?)

・家庭では排泄物で遊んだことはない。また近場の銭湯へよく行くが、そこでも排泄に失敗してお湯を汚すなどの迷惑をかけたことは一度もない。

・何故この小学校に来たのか(支援学校ではなく、社会の縮図である地域の小学校で定型発達の子ども達との関わりのなかで育てたい。プールも社会参加の大切な機会であるということ。そこを奪うということの重大性)

 

結果数日経過して、先生から「校長先生と相談して、プールは入れることになりました

」と回答をいただいた。ホッと一安心。

先生との面談を通じて、どうやら排泄の時間の時に見守りが手薄になっていたことも分かった。(どうやら息子は排泄は完全に自立していると思われたようだ)。

 

なので、排泄に関してはまだ練習中であり、まだまだ完全自立していないため、気にかけていただけると嬉しいことを伝えた。

そして、家での食事の様子、排泄の回数、タイミングを事細かに観察し、連絡帳に「昨晩たくさんご飯を食べたので、今日の午前中には排泄の可能性があります。気にかけて声がけしてもらえると助かります」と伝えることにした。

 

さて、今日はプール1日目。本人は楽しんでいるようだがどうだろうか。ちゃんと入れるだろうか。。。心配も大きいが、本人と先生を信じるしかない。

 

 

デジタルタイマー×自閉症児

虹色のチョーク」を読んで日本理化学工業さんの取り組みのなかで印象に残っていたことがあった。

工場のラインで働く知的障害を持つ方達に、砂時計で時間間隔を理解してもらうというものだった。7歳になる息子も、時計は読めない。まだ訓練していないということもあるけれど、時制の概念も分かっていない。

 

そうか!我が家も砂時計を導入してみようと、ちょくちょく探してみたら、黄色や緑色、キャラクターをあしらったものなどいくつか種類があった。息子もきれいな色の砂時計だったら気に入ってくれるかもしれない。

 

だけど、時間でいうと3-5分を計るというのが一般的なようで、給食と同じ20分を基準に考えていたこちらのニーズと合わない。

で、結局導入したのがTANITAの数字がめっちゃ大きく出るデジタルタイマーだった。

デジタルタイマーは、朝食の時間と自宅学習の時に使っている。

 

「これから20分測るよー。ぴぴーって鳴ったらご飯は終わりね。ご飯の時間が終わったら食器は下げちゃうからちゃんと時間内に食べようね」

 

スタート初日は、もちろん時間内に食べ終わる訳なくて、終わって下げようとしたら怒って机をガタガタさせたり、物を投げたりと軽く乱れたのだけど、「ご飯の時間は終わりです」といって譲らなかった。

そしたら、2日目には終了の時間が近づくと、焦って食べるようになり、アラームが鳴ったら諦め切り替えるようになった。

 

これまではTVを見ながらダラダラといつまでも食べることが多くて(そうさせてしまったのは私なのだけど)最終的に私に急かされるという構図だったのが、予め時間の見通しを立てられるように環境設定したら、息子も少しずつ切り替えるのが上手になってきたように思う。改めて環境設定って大事と思った。

 

 

 

 

 

空気清浄機を導入したら夜ちゃんと眠れるようになった

息子がアレルギー性鼻炎が判明したので、投薬以外の対応策として

空気清浄機を導入したのだけど(詳細はこちらの記事で)、早くもその効果が出始めている気がする。

 

息子は夜になると鼻をズルズルとやっていて、鼻水もうまく出せないのでいつも「鼻痛い!痛い!」と叫び、私がイライラするという悪循環だったのです。

 

月曜日のまさに眠れなかった夜には、私がだいぶイライラしていたのか息子に「ママこわい」と言われる始末で、自分の未熟さと堪え性のなさで息子を萎縮させてしまったかもしれないと思うと情けなくてほとほと嫌になっていました。

 

月曜日に相方が手配してくれた空気清浄機は水曜日に到着。

正直あまり効果のほどは期待していなかったのですが…。

息子の「鼻ズルズル」の回数がまず減りました。感覚的ですが、10回ズルズルしていたのが5回になったような、そんな感じ。これが1日目。

 

2日目の昨日は、普段通り寝る前に点鼻薬して、さて本の読み聞かせをして電気消してしばらくはふざけていたのだけど、いつの間にかスーって寝息をたてていて、「そういえば鼻ズルズルしていないな」と。

 

朝まで1回も起きることなく、ぐっすり寝られたせいか、今朝もとてもご機嫌でした。

鼻炎がひどい人は確かに睡眠障害になるよな、辛いよな。

 

たった空気清浄機1台で健やかな夜が手に入るのなら、これほど安い投資はない!

と感じました。(しかも、アウトレット製品で1万切っていたぐらいの超絶シンプルな空気清浄機)。

 

息子の鼻炎の度合いが軽かったのかもしれないけれど、空気清浄機は侮れない。

安眠環境を整えてあげることも日々の小学校生活を元気に送るには大事な要素だよなと、思いました。

 

人が幸せになるための4つの要素

 久しぶりにむさぼるように読んだ本。

虹色のチョーク

虹色のチョーク

 

 働く人の70%が知的障害を抱えているという日本理化学工業

それぞれの理解度に併せて工場のラインや製造工程を見える化しながら、生産性高く、高い品質を保つ商品を作り続けている。チョークの業界ではトップシェアを誇っているそうだ。ここで働く障害のある方も勤続20年なども珍しくない。

しかも、皆働くことを楽しみながら、会社に通っていると言う。

 

この本は、同社が何故知的障害を持つ方を雇い続けているのか、会長、社長と関係者へ丁寧に取材をしながら、そこで働く従業員である障害のある方の保護者にもインタビューしている。

印象的だったのは、会長が障害者雇用に軸足を踏んでいくきっかけとなった言葉。

 

人が幸せになるためには「人から愛されること、人から褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされること」が大事だということ。

人から愛されること以外の3つは、働くことで得られるということ。

家庭や福祉によって守られるだけでは、この3つを得るのは難しいこと。

 

企業勤めをしていると、また株式会社である限り、利益の追求は絶対だしそのために非効率な部分は改善していくのが当たり前と考えてしまいがち。

とかく福祉的な発想と利益は相反するという思い込みもあるけれど、そうではなく、利益と福祉は両立可能であるということを日本理化学工業は示している。

 

高尚な思想だけでは20年以上も継続しないということは、ビジネス感覚に疎くたって直観的に分かる。トップの強い信念と日々の企業努力があってこその今なのだと思う。

日本にこんな企業が存在していると思うだけで、未来への希望を持つことができる。

 

息子もどんな環境にあっても「幸せだな」と思ってもらいたいし、今は家庭や学校生活を通じてその基礎を作っている途中だと思う。

改めて毎日息子に丁寧に向き合おうと心新たにできた本でした。

 

 

 

アレルギー性鼻炎と判明

日曜日の夜から息子が鼻の詰まりがキツそうで、寝られないと泣いて愚図って夜中まで大変だったので、翌日耳鼻科へ行ったら、あっさりと「通年性のアレルギー性鼻炎です」と言われました。ちーん。

 

夫はアレルギーというか、ハウスダストにも弱く、寝具も頻繁に変えないとダメな神経質なタイプ。私は特にアレルギー体質はなく、至って健康体なので、息子のアレルギー体質は夫から受け継いだものと思われます…。

 

ということで、夫に「空気清浄機の導入と寝具の配慮が必要かもしれない」とメッセンジャーで伝えると、ラジャー!と即ビックカメラへ行って、空気清浄機を購入してくれました。さすがはアレルギー体質当事者だけに、こういう時の初動の早さには感心です。

ということで、息子は2週間ほど朝と晩の抗生物質点鼻薬を続けることになりました。昨晩は鼻詰まりで息苦しそうに寝ていたのが、比較的静かな寝息をたてているのでホッと一安心というところです。

 

ヤクルトを毎朝飲ませているだけでは体内の免疫物質が足りないのかな。

アレルギーの食事療法とかあれば知りたいです。

 

息子は、自閉症児の割には食べ物へのこだわりとかはさほどなく、何でも食べてくれるのですが、特に免疫系を高める食材をこれから調べつつ、ちょっと食事面でも配慮してあげないとなと思っています。

 

しかし、息子は昔は病院へ行くと大変な「祭り」を起こしていました。

行きたくないと大きな声を出し、手足をバタバタさせつつ、全身で抵抗を示していたものです。今回も夜中に「耳鼻科行こうか」と言ったら、嫌だとかなり抵抗しましたが、それでも翌日になったら「お医者様行くの?」と確認してきました。

 

お医者様の苦手克服方法(我が家の場合でいうと)は、暴れても本人に納得してもらうまで譲らないということです…。そして行けたら「良かったね、病院行ったほうが元気になるよね、楽だよね」というのを言葉にしながら、病院へ行けたことを強化し、嫌なことや苦手なことをを克服できたと本人に味わってもらうしかない。。

我が家も数年かけてやっとここまで到達したので、ある日突然病院行くのが大丈夫になるとか、そういうウルトラCはやっぱりないんだなというのを実感しています。

 

絶対にやってはいけないなと思うのが「だまして」連れていくこと。

かつてやったことがありましたが、余計にショックが大きかったようで、しばらくどんなことに対しても警戒していたぐらいです。

 

自閉症の子どもだからこそ、だましたりごまかしたりせず、真正面から真摯に向き合うこと。時間はかかってもいつかは本人の成長とともに、嫌でも我慢するというフェーズになると信じて働きかけを諦めないこと。

 

悩んでいる時ほど秘策が欲しくなりますが、そう都合よく現れるわけではないんですよね…。それも息子が教えてくれたことのひとつです。

 

 

新しい学びと7歳の誕生日

 

息子が7歳になった。週末は親族を呼んでパーティをしたので、誕生日当日は

私と近所の回転寿司でこじんまりと。

振り返れば、ほんの少し前はお店に入って夕食を取るということ自体が叶わぬ夢だったように思う(大げさだけど本当にそれぐらい大変だった)。

 

今は大きな声でわめくこともなければ、お店の中を歩き回ることもなく、好きなジュースと鉄火巻をご機嫌に食べている。私とふたりで過ごしている時の息子は本当に穏やかで、にこにことご機嫌な笑顔は最高にかわいいのだ。

 

息子は泣いている子を見ると「大丈夫?」と声をかけたり、病院でも車いすのおじいさんに「早く良くなってね」と声をかけたりととても優しい性格の持ち主だ。

 

こうした他者を思いやる気持ちは、これまでの7年間の積み上げがあったからこそなのかもしれない。

自閉症児は、他者の気持ちが分からない、いわゆる「心の理論」をクリアできないと一般的に言われているけれど、息子を見ると本当にそうかなー?と感じることがある。

障害といっても本当にその出方は人さまざまだなと思う。

 

凸凹はたくさんあるし、むしろ苦手なことのほうが多いけれど、そして何かとできない部分を矯正することに躍起になりがちだけれども、こうした「人間の核」みたいなものを大切に大切に育んであげたいなと思う。

これまでの7年間も本当に貴重な時間(早期療育が叫ばれている今の世は特に)だけれども、幼児から青年へと変化していくこれからの6年間こそ、本当に大切な時期なのだと実感する。

以前療育の先生からも「小学校は何となく過ごしているとあっという間に高学年になる。だからこそ、小学校の6年間でどんなことを身に付けさせたいのかを意識することが大事だ」と言われたことがある。

だからこそ、ABAをちゃんと勉強し直そうと思ったのだし、最近新しい学びを始めた。

「子育て・ファミリービルディング」をテーマにした学び。

発達心理学をベースにしていて、人は誕生から死に至るまでどんな段階を踏んでいくのか、どんな風に社会(家族や友人、地域や広く世の中)と関わっていくのかを学ぶ。

 

通信教育で心理学を勉強していたので、既に知っていることも多いけれど、改めて学びを深めるいい機会になっている。

 

定型発達の子ども達だって、年齢に応じた発達課題を克服して成人になる。

発達障害・自閉の子どもだって例外なくそうした発達課題を乗り越えなければいけない。人間が成長するステップは、障害あるなしに関係なく共通だ。ただ、その乗り越える過程で、支援する方法に多大な工夫と時間をかけなくてはいけない。そして、時間をかけたからといって、定型発達の人達同様のレベルにまで到達する保障もないから、療育を頑張っている親ほど、徒労感を味わったり、疲れてしまうのだろう。

 

でも、新しい学び場から教わったことは、どんな人だって、どんな年齢になったって人は成長するということだ。人が成長する・人の可能性を信じることを諦めてはいけないということ。くじけそうになっても、「次こそは」とめげないこと。

 

7年間息子と向き合う過程で楽しいことも、嬉しいことも、大変なことも、ショックなことも、落胆することも、イライラすることも、それこそ数えきれないほど味わってきた。

定型発達の子どもを育てる親御さんよりも、いろんな感情の荒波にもまれてきた自信がある(笑)。

当初思い描いていた幸せとはまた違った幸せの形だけれど、私はやっぱり息子と出会えて本当によかった。もうそれぐらい、私の人生の一部であり、息子が息子なりの自立を目指すことは、私自身の目標なのだ。

 

息子がどんなハンディキャップを持っていようとも「自分の人生は面白いし楽しい」と思える大人になれるよう、後方支援を続けていきたいなと思う。

 

 

 

 

早期療育じゃないけれどABAを体系的に勉強してみようと思います

今朝、学校へ送りに行った時に、支援級のママ友から「5月になって荒れる子、問題行動が出てくる子が多い」という話を聞きました。

 

新しい環境に変わって緊張が続く4月を追え、小学校生活のリズムに慣れると共に、本来の自分を出せるようになっていく。いわゆる「本心が出てくる」時期なのだそう。

 

あとは、通級へ通う子どもは、普通級のなかに「仲良しのお友達同士でつるむ」グループができていて、そこに入れなくて小さく傷ついたり…。

 

我が家の息子は、一人で大丈夫なタイプなので、そういったお友達関係で悩むことはほとんどない(というか、まだその次元にまでいってないというのが正しい)。

小学生になってまる2ヶ月。登校しぶりすることなく、出かけられているのが本当にありがたいです。

と同時に、小学1年生だったら当然のようにできること(文字や数字を中心に)が、やはり我が子は2歩も3歩も遅れているので、どうしたものかと思っています。

 

当初は支援級の先生にお願いできる部分はしてゆっくりできることを増やしていけばいいかと思っていましたが、どうやらそれは悠長に構えすぎだということが判明し。

というより、支援級の先生があまり頼りにならなそうということが2ヶ月間通ってみて感じたので、家でも私が少しずつ教えようと思っています。

 

以前からABAがいいとは聞いていたのだけど、自分が実践するとなると、その忍耐力と時間がないし、子どもにとっても負担が多いのでは…と思って敬遠していた部分がありました。でも、お友達に本を見せてもらって、何より驚いたのは「スモールステップの刻み方が本当に小さく丁寧」だということ。

 

ゴールからやってみせて逆算してスモールステップを刻んでいくというのも新鮮でした。例えば、学校の授業の用意の場合。「国語と算数の教科書をランドセルに入れる」というのがゴールだとすると、

国語の教科書と算数の教科書を確実に理解させるために、シールなどを貼ってマッチングさせるところから始めるということ。

例えば、算数=赤、国語=黄色などのシールを貼りながら「赤にタッチ、黄色にタッチ」とさせる、それが完全にできたら「赤取って、黄色取って」と進めていく。

国語の教科書と算数の教科書を完全に理解させて初めて「ランドセルに入れる」練習をする。

自分が今までいかに雑多なステップを踏んでいたのかが分かる。そして、息子を以下に混乱させていたかも…。分からないから意識が向かないのは当然で。それは私のせいでもあるんだなということが思い出されて胸が痛い…。

なので、息子が理解し頭に入っていきやすいようにスモールステップを刻めるよう、自分自身が改めてちゃんとABAを学ぼうと思っています。

ABAによって息子の知能が劇的に変わるとは思えないけれど、できることを増やすためにも、ABA的関わり方は必要だと思うので。

差し当たっては時間が取りにくいのが最大の課題なので、一日の生活にどう組み込むか?そこは大きな検討項目であります。

でも、千里の道も一歩から。地道に頑張ろうと思います。