美しい世界に触れて癒される経験も大切
平日は夕方までガーッと働き、保育園に迎えに行き、ご飯を食べさせ、お風呂に入らせ、余裕がある時は線引きの課題やパズルなどをやり…。
典型的な私の一日だが、それが続くと生活に潤いがなくなってくる。
療育もやらなきゃ、あれもやらなきゃと不安で頭が埋め尽くされると、それに和をかけて潤いがなくなってくる。
そんな時は、小説を読んで現実逃避するようにしている。
小説を読んでいる間は、その世界に没頭することができるから。
最近久しぶりに美しい恋愛小説を読んだ。
38歳の天才ギタリストと40歳の女性記者の恋愛の物語を軸に、喪失と再生、親と子、愛と死等さまざまなテーマが複雑に絡み合っていく世界観。
平野さんの小説を初めて読んだけれど、こんなに美しい世界を描く人だったとは知らなかった。
そして、恋愛小説なんて、ほんとうーに久しぶりに読んだ。
自分は随分と遠くまで来てしまったなと思ったけれど(笑)、これを読んで胸が張り裂けそうな気持ちとか、逆にじわーっと全身が幸福感で満たされていく感じとか久しぶりに思い出した。
帯の言葉にドキッとする。「あなたが結婚した相手は最愛の人ですか?」
まるで自分に問いかけられているみたい。
そういう風に思った既婚者は私だけじゃないはずだ。
人をこんな風に愛せたという経験があるだけで、たとえその愛が実らなくとも十分に豊かな人生ではないかと思う。
主人公たちのその後の人生が、頭のなかで映画のように再生されていく。
そんな美しいイマジネーションを呼び起こしてくる上質な物語だった。
何をゴールとするか。保育園修了式
息子が半年間だけお世話になった保育園の修了お祝い会に行ってきた。
息子にとっては長時間座り続け、皆と行動しなくてはいけないストレスフルなイベント。正直、見ているこちらも何回か居たたまれない気持ちになった。
けれども、今の息子の実力値としては本当に頑張ったと思う。
具体的には…
・演劇には途中だけ参加できた(風船をパンチし、お尻どうのと言っていた。汗)
・卒園式用の洋服はやはり着てくれず、結局普段の格好と変わらない結果に。他の子どもたちとの差が結構笑えた。
・イスには座らず、小上がりが特等席になってしまった。観客席側からは息子の姿は見えなかった。
・園長先生から卒園証書をもらうタイミングで将来の夢を言うのだが、前の子につられて(というか、おうむ返しかな?)「おいしゃさんになる」と言っていた。
・退場の時はママと一緒に礼をし退場できた。
・最後の記念写真にも参加できた。
こんな感じ。途中先生に連れられて別の部屋でクールダウンすることもあったけれど、大声を出したり、走り回ったりということはなかった。
居たたまれない気持ちになったのは、他の子と比較して、「あんな風に色々と参加してくれたらいいのになぁ」と思ってしまった私自身の問題である。
あらかじめ自分の期待値は調整していたのだけれど、いざ本番で見るとやっぱり沈んでいる自分がいる。
それは抑えようと思っても仕方ないこと。まだまだ他の子のようになって欲しいと願っている自分がいるんだと発見できた。
息子のことを一生懸命見てくれる男性の担任の先生(きっと私の一回り以上年下)が泣いていたのを見て、私もついもらい泣きしてしまった。
玄関先で先生が息子の顔をくちゃくちゃーってしてくれ「おめでとう」と目を細めていた顔を見て、あぁこの先生に出会えて本当に良かったなぁと心から思った。
他の子と一緒でなくていい、息子が今出せる力を頑張って出せたこと、何とか同じ空間、同じ時間を過ごせたということが何より大事だし、それが私たちの今のゴール。
肝心の息子さんは自宅へ帰って早めに寝落ちしてしまった。
やっぱりいろいろ疲れていたんだなと。
お疲れさん!
小学校へ体験入学
今日は4月から通う予定の小学校の支援学級体験入学の日だった。
これまで就学相談にたくさんのエネルギーと忍耐力を使ってきたが、就学先が決まってしまうと、拍子抜けするぐらいのレベル感で個別対応していただけている。
朝一番で校門のところで先生、教育委員会の方と待ち合わせ。息子は緊張しているのか、いつもよりよくおしゃべりし、多動も目立った。
教室へ移動し、担任の先生とご挨拶。「こんにちは」としっかり挨拶できていた。
驚くべきことに、息子は約40分の間ほぼイスに座り、先生と一緒に課題をこなすことができていた。
家ではものの10分とかで集中力は途切れてしまうのだけど、今日はまぁやっぱり緊張していたから普段の姿を見せる余裕がなかっただけかもしれない。
線引きや粘土、輪投げなどをこなし40分はあっという間に過ぎていった。
支援対象の子ども達は学年を越えて同じ教室に集まっている。
衝立を使って学年を分けているのだけど、息子が時々別のクラスに乱入するというハプニングが起こったけれど、大きなトラブルにはならなかった。
「先生たちは●●さん(息子の名前)が小学校に来るのを楽しみにしていますよ」という言葉を最後にいただいた。
これまでは何とか定型発達の子ども達と一緒の機会を用意していただけないだろうかと、お願いをしてばかりの立場だったため、こんな風に言ってもらえるのも、それもまた拍子抜けする感じ…。これから何か嫌なことや悪いことが起きる前触れなのでは…と穿って見てしまう私。苦笑。
でも、その時はまたその時で考えよう。
まずは息子が頑張って今日という一日を乗り越えられたことに感謝をしたい。
子どもの就学に悩む人へ、智恵と勇気をもらえる1冊
再び海津さんの本。これは、主に障害のある子どもの就学(小学校が中心)を考える時にぜひ一度は読んでもらいたい本だ。
私がこの本に出会ったタイミングは、教育委員会で支援学校の判定が出た時に、改めて自分の教育観がゆさぶられ、自分が下した決断に迷いが生じ、自信をなくした時だった。落ち込むというか、もうどうしたらいいか分からなかった時に、この本に出会った。
当時者の親かつジャーナリストという職業を活かして、多方面に取材をしていて、具体的なノウハウが充実しているだけでなく、何より自信をなくした親にそっと寄り添ってくれる凛とした優しさも感じる本だ。
全7章で構成され、以下に章立てをご紹介する。
1章:就学相談
2章:親自身の人生
3章:しつけ
4章:自立
5章:困ったときの発信先
6章:子育て支援と「わが家のニーズ」
7章:子どもにとっての「よい親」とは
何より刺さったのは以下の言葉(引用させていただきます)
-障害のある子どもの親の使命は、障害のある子どもの親になったからこそ見えた社会の偏見や差別を声にし、制度やシステムをつくりあげていくための種を蒔くことだと思います。
その種は、さまざまな人たちの胸の中にも飛んでいき、子どもを支える力強い味方として、花開いていってくれると私は信じます。
種を蒔かなければ、花も咲きません。
順番からいえば先に死んでいく親たちが、子どもに遺せる財産は、だれかの善意を待たずとも生きていける、偏見や差別のない制度やシステムが構築された社会であり、違いを認め合える人間観を持った大人の存在だと思います。子どもは、大人の心のありようでいかようにも育ちます。
私の今のささやかな目標というか使命は、自分が経験した悔しさや悲しさや怒りや嬉しさ、自分が学んだ色々なことを同じ悩みを抱える別の誰かのために役立てること。
人はそれぞれ自分なりの価値観や信念を持っているから、全てが役に立つとも限らないし、そんな自分の経験ごときで誰かを救えるなんて思ってもいない。
でも、自分が苦しかった時に、指針になったりヒントになったのは、顔も分からない、名前も知らない、でも思いは共通する当事者ブログだった。
だからこそ、自分の経験をしっかりとアウトプットすることで次につなげられたらと思っている。
※とはいえ、このブログは本当にいち当事者の親としての備忘録やつぶやきレベルの内容も入っているため、あらかじめご了承いただきたい。
障害者差別解消法勉強会
親の会が主催する勉強会に参加してきた。テーマは「障害者差別解消法」について。
2016年4月から施行されている法律で、ざっくりとまとめてしまうと、障害のある方が合理的配慮を求めることができるようになるということ。
行政機関は義務、企業などの民間は負担のない範囲での努力義務なので、強制力はそこまではないけれど、とてもありがたい法律だと思った。以下、自分の備忘録。
・ルーツは公民権運動にまでさかのぼるということ。「違い」によって苦しめられている人たちがいかにして平等を獲得していったのかの歴史の流れのなかにあるということ。
・「合理的配慮」のポイントは、健常の人が普通に当たり前にできることを、何らかの障害があることでできない場合に、配慮をすることで同じスタートラインに立てるようにすること。エンパワメントの発想。
・「(障害のある方に対して)私たちは差別はしません。差別はしないので特別扱いもしません」というのは、立派な差別である。(合理的配慮を提供しないという意味で)
・学校やその他機関との交渉事の際に「法律で規定されている」と切り札を出せるよう法律について知っておくのはいいけれど、人間は正論だけでは動かない。
・合理的配慮とはつまるところ、対峙する相手のことをひとりの人間として尊重し大切に考え、どうすればその人がその人らしくいられるかの手立てを考えることである。
同じ仲間と語り合うこと
気持ちのメンテナンスの一環として、当事者のママさん達と定期的に話す機会を設けるようにしている。
とかく「自分だけが頑張っている」「大変なのは自分だけだ」と、内向きになりがちなので一緒に頑張っている仲間の存在を知るだけで救われる気持ちになれる。
今日話したママ達は、発達に課題を抱えるママさんだけじゃなくて、ダウン症のママ、インフルエンザから脳症になり、重度重複障害を抱えているママさん、発達障害のグレーゾーンのママさんなど、幅広かった。
皆働きながら難易度の高い子育てに挑んでいるということが共有できたことで、一人じゃないんだと思えた。
とはいえ、課題は本当にさまざまだったので、主に話題のメインは、障害児を育てながら働くということについてとか、職場や学校で周囲の人の理解をどうやって獲得していくかなどだった。
中でも明るくてエネルギッシュなママさんがいて、その方と話しているだけでみんな元気になるような、そんな方だった。
私も誰かにエネルギーや安心感を与えられる人になりたいなぁ。
1つのことを極めた人はいろいろと説得力がある
療育なんかいらない!: 発達障害キッズの子育ては、周りがあわせたほうがうまくいく (実用単行本)
- 作者: 佐藤典雅
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/10/20
- メディア: 単行本
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この方、私は本当に面白いと思った!
自閉症の息子さんを育てる当事者の父でありながら、神奈川県で放課後等デイサービスを運営している佐藤さん。
息子さんの療育のために9年間ロスで暮らしながら、最先端のアメリカの療育を受けさせてきた方が「療育なんかいらない!」とちょっと強めに主張しているだけで、え?何で?って思う。そんな興味から手に取った。
さらーっと読めるエッセイで、ユーモアもたっぷり。
「支援学級に通わせている親は暗い雰囲気、格好もダサい」とか「福祉系の人には色気が足りない」とか、結構強めな言葉が並ぶ。
もしかしたら不快に思う方もいるかも?私はこの痛快さが好きですが。
読み進めると佐藤さんが決して療育を否定している訳ではないということはよく伝わってくる。療育に熱中しすぎて、親と子どもが追いつめられ、結局人生を楽しむということができないのであれば、そんなの辞めてしまえば?と言っているのだと受け止めた。
療育の価値は一定はあると思う。でも、それよりも大切なのは、障害を持った子どもたちがそのままで暮らしていける環境を作ること。
親が療育に躍起になるのは、結局社会がそうさせているからなのだと思う。ちょっと変わった発言や行動をする子どものことを「異質だ」と排除する社会が、障害のある子どもを持つ親を追いつめる。療育によって子どもをなるべく普通に近づけたいと必死にさせる。全ては「違い」に対する不寛容さが、親を追いつめているのだと思う。
私は息子が3歳になるぐらいから療育に期待し、一生懸命(今も)通っているが、子どものIQが劇的に変化したとか、奇声やパニックが消えた!とか、そういうことはない。
もちろん、子どもはゆっくりではあっても成長するので、言葉も増えたし、感情のコントロールとかも昔よりはできるようになっている。でも、それが療育による効果なのかといえば、半分はそうで半分は本人の自然成長なんではないかと思っている。
何より、大きく変化したのは、私自身の価値観だ。IQが人間の価値を決めると普通に思っていた自分の価値観を捨てなくてはいけない状況になり、新しい価値観が見えてきたように思う。
息子を丸ごと受け止めたいと思えるようになったのは、療育によっていろいろな個性を持った子どもがいることを知れたことだったり、療育を通じて出会えた先生方からいろんな観点を教えてもらったお陰かもしれない。
療育によって新しい価値観を得ることはできたけれど、今は療育が全てだとは思わない。この本を読んで改めて思った。
話はそれるけれど、この方、過去にエホバの証人だったことをブログで告白されている。家族が熱心な信者だったお陰で佐藤さんも当たり前のように入ったのだそうだが、成人して家族ごと脱会させたそうだ。そんな自身の経験を本にもまとめていらっしゃる。私は特定の宗教に思い入れがあるわけではないけれど、何かの分野を深く深く極めた人の学びには興味がある。例えそれが自分とは関係のない分野であっても、共通する学びがあると思うし、何より説得力があるから。
こんなユニークな人が運営する放課後デイサービスが近くにあったら、うちも通わせたいんだけどなぁ。