自閉症児と共に生きる

知的ハンディキャップのある自閉症児との味わい深い人生

同じ仲間と語り合うこと

気持ちのメンテナンスの一環として、当事者のママさん達と定期的に話す機会を設けるようにしている。

 

とかく「自分だけが頑張っている」「大変なのは自分だけだ」と、内向きになりがちなので一緒に頑張っている仲間の存在を知るだけで救われる気持ちになれる。

 

今日話したママ達は、発達に課題を抱えるママさんだけじゃなくて、ダウン症のママ、インフルエンザから脳症になり、重度重複障害を抱えているママさん、発達障害のグレーゾーンのママさんなど、幅広かった。

 

皆働きながら難易度の高い子育てに挑んでいるということが共有できたことで、一人じゃないんだと思えた。

 

とはいえ、課題は本当にさまざまだったので、主に話題のメインは、障害児を育てながら働くということについてとか、職場や学校で周囲の人の理解をどうやって獲得していくかなどだった。

 

中でも明るくてエネルギッシュなママさんがいて、その方と話しているだけでみんな元気になるような、そんな方だった。

 

私も誰かにエネルギーや安心感を与えられる人になりたいなぁ。

1つのことを極めた人はいろいろと説得力がある

 

 この方、私は本当に面白いと思った!

自閉症の息子さんを育てる当事者の父でありながら、神奈川県で放課後等デイサービスを運営している佐藤さん。

息子さんの療育のために9年間ロスで暮らしながら、最先端のアメリカの療育を受けさせてきた方が「療育なんかいらない!」とちょっと強めに主張しているだけで、え?何で?って思う。そんな興味から手に取った。

 

さらーっと読めるエッセイで、ユーモアもたっぷり。

「支援学級に通わせている親は暗い雰囲気、格好もダサい」とか「福祉系の人には色気が足りない」とか、結構強めな言葉が並ぶ。

もしかしたら不快に思う方もいるかも?私はこの痛快さが好きですが。

 

読み進めると佐藤さんが決して療育を否定している訳ではないということはよく伝わってくる。療育に熱中しすぎて、親と子どもが追いつめられ、結局人生を楽しむということができないのであれば、そんなの辞めてしまえば?と言っているのだと受け止めた。

 

療育の価値は一定はあると思う。でも、それよりも大切なのは、障害を持った子どもたちがそのままで暮らしていける環境を作ること。

 

親が療育に躍起になるのは、結局社会がそうさせているからなのだと思う。ちょっと変わった発言や行動をする子どものことを「異質だ」と排除する社会が、障害のある子どもを持つ親を追いつめる。療育によって子どもをなるべく普通に近づけたいと必死にさせる。全ては「違い」に対する不寛容さが、親を追いつめているのだと思う。

 

私は息子が3歳になるぐらいから療育に期待し、一生懸命(今も)通っているが、子どものIQが劇的に変化したとか、奇声やパニックが消えた!とか、そういうことはない。

もちろん、子どもはゆっくりではあっても成長するので、言葉も増えたし、感情のコントロールとかも昔よりはできるようになっている。でも、それが療育による効果なのかといえば、半分はそうで半分は本人の自然成長なんではないかと思っている。

 

何より、大きく変化したのは、私自身の価値観だ。IQが人間の価値を決めると普通に思っていた自分の価値観を捨てなくてはいけない状況になり、新しい価値観が見えてきたように思う。

息子を丸ごと受け止めたいと思えるようになったのは、療育によっていろいろな個性を持った子どもがいることを知れたことだったり、療育を通じて出会えた先生方からいろんな観点を教えてもらったお陰かもしれない。

 

療育によって新しい価値観を得ることはできたけれど、今は療育が全てだとは思わない。この本を読んで改めて思った。

 

話はそれるけれど、この方、過去にエホバの証人だったことをブログで告白されている。家族が熱心な信者だったお陰で佐藤さんも当たり前のように入ったのだそうだが、成人して家族ごと脱会させたそうだ。そんな自身の経験を本にもまとめていらっしゃる。私は特定の宗教に思い入れがあるわけではないけれど、何かの分野を深く深く極めた人の学びには興味がある。例えそれが自分とは関係のない分野であっても、共通する学びがあると思うし、何より説得力があるから。

 

こんなユニークな人が運営する放課後デイサービスが近くにあったら、うちも通わせたいんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漢方薬でイライラが落ち着いている話

 

一時、息子が4歳ぐらいの頃、癇癪がひどくて、特に奇声が激しくて耳栓が手放せない時期があった。自分の思い通りにならないと大きな声を出してくる。

 

おまけに、その当時は一時期(3ヶ月ぐらい)保育園に行きたくないと大泣きしていて、ひどいと前日の夜から私の耳元で「行きたくない!」とずーっと大泣きされて、息子もかわいそうなのだけど、さすがに私も気が狂いそうになり、耳栓をしていたのだ。

※結局不登園問題の原因ははっきりしないけれど、保育園の園舎が変わったのと、担任の先生が優しくて若い先生に代わったらおさまった…。

 

その当時の私は、朝が来るのが憂鬱で仕方なくて、ほとほと疲れていたので、義姉が見かねて漢方医を紹介してくれた。そこで処方されたのが「抑肝散」という漢方で、息子と一緒に一時期飲んでいた。

 

ちなみに、中国では抑肝散は母子共に飲むのが一般的だそうだ。理由は、子どもが感情的になったりイライラするのは、母親の影響によると考えられているからとのこと(汗)→すみませんすみません。

 

漢方ってほんとに飲みにくいので、息子にはメープルシロップ少々を混ぜて飲ませていた。私はお湯で煎じて飲んでいた。

 

漢方の効き目はとてもマイルドなので、翌朝起きて「穏やかに生まれ変わった私!」となることはないのだけど、「あ、そういえばイライラしてない」みたいな日が徐々に増えていったという感じ。

 

息子は5歳の間頑張って飲んでいたけれど、6歳になった4月から「もういらない」と言いだし、以来、私だけが飲んでいる。

 

生理前の気持ちの落ち込みやイライラが年々ひどくなっているので、最近では「キュウキチョウケツイン」という種類の漢方薬も飲んでいる。

ヨガといい、漢方薬といい、私にはホリスティックなアプローチが合っているようです。もう少しこの分野への理解を深めたいと思っているのだけど、結構漢字が難しくて…なので、易しく解説されているサイトとかを参照しています。

www.mkampo.net

ヨガを再開(6年ぶり)してみて分かったこと

息子の就学問題に一旦の目途がついたので、自身の心にゆとりが生まれたのか、6年ぶりにヨガを再開してみた。

 

30歳を目の前に、大変大きな失恋をして心がしぼんでいた当時、アシュタンガヨガにハマっていたことがある。毎週荻窪にあるスタジオに足繁く通っており、関連書籍もむさぼるように読んでいた。

 

なんだけど、結婚して妊娠して出産したら、すっかりヨガから遠のいてしまった。

理由は特ににないんだけど、何せ飽きやすい性格だから…。

 

でも、先日本当に久しぶりにホットヨガへ行ってみたら、すーーっごく気持ちよくて、楽しくて、体験レッスン当日に入会してしまった(そこの全国チェーンのクロージング力も高かったとも言える…)。

 

ヨガに対して特別に心のメンテナンス効果を求めて再開した訳ではなくて、単純に運動不足を解消したかったからなのだけど、予想以上に気持ちよくてハマりそう。

 

遠のいていた6年の間に、ヨガインストラクター養成講座が雨後の竹の子のようにあちらこちらにできていたり(一時のアロマセラピストみたいに)、気付いたら体験してみたいレッスンランキングに英語を抜いて1位になっていたり、モデルはたいていヨガをやっていたりと、業界の発展ぶりにびっくり。

 

心と体のメンテナンスに興味ある人が増えているんだろう。

私は自身のメンテナンスのために漢方薬も取り入れていて、これも今のところ本当に自分にピッタリなので続けているのだけど、これについても改めて書いておこうと思う。

 

息子を育てていると楽しいことばかりなのだけど、一方で大変なことも多いのも事実。

息子がしっかりと自立した社会人になってもらうためにも、私はスーパー元気なシニアにならなくてはいけなくて。自分自身のメンテナンスも大きなテーマの1つなのだ。

 

6年ぶりにヨガを再開してみて、そんなことを改めて実感した。

 

親だって見通しが立たないと不安になる

 

 就学前の今年は、いつにもまして当事者が書いた経験談エッセイの類を読んだ。

息子に障害があると発覚した前後もむさぼるように本に救いを求めていたのだけど、就学前もその時と同じような心理状態だったのかもしれない。

そして、結構「当たりな本」に出会ったきた。それをいくつか紹介したい。

まずはこちら。

文京区議であり、知的障害を持つ娘さんを育てる母親でもある海津敦子さんの本。

一度彼女の講演会に出たこともあるのだけど、元テレビ朝日の報道記者ということもあり、とても論理的で女性的で素敵な人だった。

この本は全7章からなっていて、章立ては以下。

1.わが子の遅れに気付く時

2.遅れを指摘されること

3.療育と子どもの成長

4.周囲との付き合い方

5.障害児を育てること

6.子どもの世界をどう広げるか

7.発達に遅れのある子の親になる

遅れのある子を育てることになった海津さん自身の葛藤を、さまざまな当時者や専門家へのインタビューを通じて整理していってるのかなという印象を受けた。

 

本を読みながら、海津さんの視点や観点を追体験しながら、自分の息子とのご縁を授かった意味を改めて考え、これからどんな環境設定をしていくことが、お互いにとって穏やかで気持ちよく楽しく暮らすことにつながるのか、いろんなことに考えを巡らせてくれる1冊だった。

 

何より、目の前に受入れがたい事実がある時、悲嘆にくれるのでもなく、全く何も考えないのでもなく、いろいろな人の話を聞きながら内省し、自分自身の価値観を再構築していく海津さんの生き方に共感する点が多かった。

 

こうした当事者の先輩の体験談に触れることは、まだ自分自身の見通しが立っていない不安定な時期に読むと本当に落ち着くというか、冷静になれると思う。

 

子どもは先の見通しが立たないと不安になってパニックになることもあるが、親だって、子どもとの暮らしの見通しが立たないと不安になるのです。

この本はその不安を払しょくする一助になるかもしれない。

 

ハラハラドキドキの学校説明会

就学先の小学校へ入学前の説明会に行ってきた。

子どもも同伴ということで、甚だ不安だったのだが、要配慮の子は先生が個別に対応してくれ、安心した。

親は別室で説明を聞き、子どもは子ども達だけで別の教室へ行き、時間を過ごしていた。

我が家は念のため、義母に付き添いをお願いしてきていただいたのだが、途中から義母も親のいる教室へ移動してきていた。

どうやら、途中まで付き添っていたら「後は子どもたち同士で見ますので」と言われたようで。

初めて行く場所だったので、前夜に予告をしていたのだが、息子はパニックを起こし、大泣き&大暴れの「祭り」を起こしてしまった。

なので、今日は、午前中は息子が大好きなバスに乗り、大好きなフレッシュネスバーガーでお昼を食べという、好きなことをさせてから午後の説明会に臨んだのだ。

それでもどうなるかハラハラドキドキだったのけど、大きな声を出すこともなく過ごせたようで本当に安心した。

何より、同じ保育園へ通う子ども達が数名同じ教室にいたのでそこも安心材料になったようだ。

これからの壁は、3月頭の体験入学だ。4月の入学式前には体育館での予行練習もしてくれるということなので、本当に安心した。

個別に対応してくれるというのは本当のようで、先生方もマイペースな子に慣れていた感じがした。特別支援学校よりもずっと丁寧&個別感があった。

とりあえず、ハラハラドキドキの学校説明会は乗り越えることができてうれしい。

就学相談

就学相談とは、障害があったりその他就学を前に心配がある家庭へ向けて教育委員会との話し合いの場を持ち、子どもにとって最適な就学環境を考えていくための機会だ。

 

「親の意向を知る」「子どもの現状を把握する」「判定会」「教育委員会からのフィードバック」「就学先の決定」といくつかのフェーズに分けられる。

我が家の場合を例にとり、どんなふうに進んでいくのか、どんな準備や心構えで臨むといいかを振り返ってみたいと思う。

 

〈親の意向を知る〉

・6月ごろ教育委員会に電話して面談の予約。親子で来てくださいと言われる。

・元は小学校だった場所で1回目の面談。相手は臨床心理士の女性と教育委員会の男性。チビは心理士の女性と共に別室で(恐らくこれもアセスメント)、私は男性とこれまでの成育歴や育児における心配ごと、就学に関する希望などを伝える(我が家は地域の特別支援学級を希望した)。

 

〈子どもの現状を把握する〉

教育委員会の判定員と呼ばれる人が保育園へ出向いて普段の息子の様子を2,3時間見学(判定員は複数人数いるらしい)

・子どもを複数人数集めて集団行動観察という過程を取る地域もあるようだ。

・我が家は途中で引越をしたので、新天地では田中ビネー発達検査を受けた。

・医師による診断も受け、自閉症と言われた。

 

〈判定会〉

・判定委員による判定会が月に1回(地域によると思うが、我が家が暮らす地域は月1開催)開催され、これまでの資料を元に子どもに合った環境を総合的に判断していく。親は介入できない。

・我が家の回は2016年12月20日に実施していただいた。

 

教育委員会からのフィードバック〉

・2016年のクリスマス前後に教育委員会から電話があり、支援学校を推奨との判定。我が家の意向とずれていたので、再び話し合いの場を持つことに。

教育委員会の方達と夫、私の4人で面談。何故支援学級を望むのか改めてお伝えすると、支援学校も見てみてから決めませんかと提案をいただく。

・年明けに支援学校を見学。予想通りの手厚い配慮が受けられる明るい学校という印象でも、我が家の意向が揺らぐことはなかった。

・支援学校見学後の数日後に改めて支援学級にお世話になりたい旨をお伝えした。

 

〈就学先の決定〉

・地域の小学校の校長先生、教育委員会、夫と私で面談。改めて支援学級へ行かせたい旨をお伝えし、学校側の意見を伺う。

・学校側は家庭と密に連絡を取りながら、個別に支援をしていきましょうということで合意。最終的に地域の小学校の支援学級に就学先が決定した。

 

〈就学相談における心構え・私の場合〉

就学相談は、結構な時間と工数、エネルギーを必要とする。

判定と家庭との意向がマッチすれば問題ないけれど、ズレがある場合には更なるエネルギーと時間を費やすことになる。

これは個人的な感想でしかないけれど、やはり就学相談での結果は、1つの判断材料にしかすぎないと思う。

 

判定員の人の見立ては確かに、正確に彼の一面を切り取ってくれていると思う。

とはいえ、彼にだって調子がいい時と悪い時があるはずで、判定員の人にそのバイオリズムを見極められるかというとそうは思わない。しかも、会って数時間の人に彼の人生における重要な局面を決められたくはない。

 

そもそも学校だけで完結させようなんて思っていないし、人間の核を創るのは家庭だと思っている。だからこそ、どんな環境で学ばせたいかは親が決めていいと思う。その上で学校側とどんな連携をさせてもらえるのか、そこを就学相談の場で相談するというのが理想ではないだろうか。

 

現状は、発達検査の結果で色分けされ、学校区別をされているのではないかと思っても仕方がない部分がたくさん散見された(教育委員会の人のさりげない言葉など)。

 

我が家は就学相談の過程で、本当に色々な人の意見を聞いたし、学校も見に行った。直観的にないなと思うところは分かりやすく削除できるのだけど、甲乙つけがたいところもあって、そこは本当に悩ましいところだった。

 

正しい答えなど誰も呈示してくれないし、自分達がどう考えるのかをその都度深く深く突き詰めて考えなければいけなかった。

でも、その時点で考え抜いた先に出した選択ならば、納得感がある。納得感があれば頑張れるし、その先に何か想定しないことが起こっても、軌道修正を早いタイミングでできるのではないか。

そういう意味でも、小学校のタイミングでは特に、親である自分達自身が納得できる選択かどうかというのがとても大切になってくるような気がする。

そのためには、現場に訪れ、通っている先輩の話を聞き、イメージを膨らませていくこと、何だかんだ決め手はそこだったように思う。